《 なんでもできる神さま 》
マタイによる福音書7:7~11
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。 (マタイ 7:7~11)
今日は、子どもと大人の合同礼拝です。普段、教会学校で礼拝を守っている子どもと保護者の方々も一緒に礼拝をささげます。
教会学校の礼拝では、教案誌のカリキュラムに従って、今年は、教会の教え(三要文:主の祈り、使徒信条、十戒)と教会への手紙から主の御言葉を聞いています。
キリスト者は、神さまを父とし、教会を母として、生み出されていきます。子どもたちは、教会によって神さまの子になっていきます。
わたしたちが礼拝している神さまは、なんでもできる父なる神さまです。この父なる神さまは、「わたしたちの父」であり「わたしの父」です。イエスさまが、天の神さまを「父」と呼ぶことを教えてくださったので、わたしたちは、神さまを「天の父」と呼び、神さまは、わたしたちのお父さんになってくださいました。
神さまは、わたしたちが神さまに喜ばれることをしていても、すっかり神さまのことを忘れて好き放題していても、いつでも、「わたしのお父さん」でいてくださいます。笑っていても、怒っていても、泣いていても、「わたしのお父さん」でいてくださいます。そして、「こんな家に生まれたくなかった」と言っても、そして、たとえ、家出をして、もうお父さんと呼ぶこともできない、子ども
として受け入れてもらうことなどできないと思ったとしても、神さまは、「お前は、わたしの子だ」と言ってくださいます。それくらい、イエスさまの言葉には、力があります。イエスさまが、おっしゃるのだから、心配することは何もない。かえって、もし足りないものがあるなら、なんでも神さまに言ってみなさいとイエスさまは教えてくださいました。家で、「ご飯の用意ができたよ」と言われて食卓に着くと嫌いな物ばかりが並んでいることはあるかもしれませんが、食べられない「石ころ」や毒をもって襲いかってくるような「蛇」が並んでいるということはないでしょう。みんなのお父さんやお母さんも、危ない物を食べさせたりすることはなく、良い物を与えようとします。天の父は、なんでもできる神さまですから、もちろん危ない物を与えようとはせず、良い物を与えられます。
天の父なる神さまは、わたしたちが神さまの子どもにするために、子どもであるためには、なんだってなさる神さまです。なんだってできる神さまは、十字架のイエスさまを与えてくださいました。
今日は、「父の日」と呼ばれる日で、お父さんに「ありがとう」と伝える日です。わたしたちの天の父なる神さまに感謝を表しましょう。
《祈り》天の父なる神さま。イエスさまによって、あなたの子どもにしてくださって、ありがとうございます。いつもわたしたちをまもってくださって、良い物をくださって、ありがとうございます。本当に、あなたの子でよかったと思っています。これからも、わたしたちの父でいてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2023/6/18 子どもと大人の合同礼拝 橋本いずみ)