2023年8月6日 主日礼拝説教

《 ナザレのイエス ユダヤ人の王 

ヨハネによる福音書19:16~22

そこで、彼らはイエスを十字架につけた。またイエスのほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。(ヨハネ19:18-20)

主イエス・キリストが十字架にかけられた時、一つの札がつけられました。そこには、「ナザレのイエス ユダヤ人の王」と書いてありました。これは、ピラトが書いたもので、ナザレのイエスが何者であるかを、後代にまで伝えるものとなりました。

絵画においてイエス・キリストが十字架にかけられているところが描かれるとき、十字架の上に「I・N・R・I」と書かれているのを見たことがある方がいらっしゃると思います。これは、「I(イエス)、N(ナザレの)、R(王)、I(ユダヤ人たちの)」のラテン語の頭文字をとったものです。ヨハネによる福音書によると、この罪状書きは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で描かれたといいます。この地域の現地語であったヘブライ語(アラム語)、行政用語としてのラテン語(ローマの言葉)、世界語としてのギリシア語で「ナザレのイエス ユダヤ人の王」と書かれました。それは、イエスさまの十字架の前を当時、行き来したすべての人に対してだけでなく、後代にまで、十字架にかけられたナザレのイエスが、世界の救い主であることを示すものとなりました。

イエスさまは、確かにしるしをされましたが、そのしるし故に王であろうとはなさいません。むしろ、イエスさまが父なる神と一つであられることを信じ受け入れる者たちの間で、王としての力を示されます。(ヨハネ6:35、11:17-44)

十字架につけられたキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には、愚かなものとされました。イエスさまを十字架につけよと叫んだユダヤ人たちは、数々のしるしを求めてつまずき、知恵を探求するギリシア人は愚かなことだと判断しました。(1コリント1:23-25)

ピラトが記した「ナザレのイエス ユダヤ人の王」という罪状書きは、しるしを求める者たちにも、知恵を探求するものたちにも、はっきりと、十字架につけられたこのお方が、世界の救い主であると告げています。

わたしたちは、この十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。十字架の主イエス・キリストがわたしたちの罪を担って、罪の支配から救い出してくださいました。このお方は、死をもって死を滅ぼし、悪の力を打ち破り、復活し、世界を統べ治めておられる王です。主イエス・キリストは、十字架にかかり、神の力を示してくださいました。

《祈り》 十字架の主イエス・キリストの父なる神さま。あなたに信頼することを後回しにし、しるしを求めていた時には、あなたが何をなされているのか、分かりませんでした。そのような者にも、あなたが恵みによって十字架の主の姿をはっきりと示してくださいました。主よ、悪の力に振り回されそうになる時にも、わたしの王、造られた世界の王でいてください。どうか、主を信じ、主に従う教会に、主の霊を豊かに注ぎ、十字架のキリストを宣べ伝えることができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2023年8月6日 橋本いずみ)