パウロの伝道旅行 イエスさまを伝えに行こう!
フィリピの信徒への手紙1:18~24
だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。(フィリピ1:18-19)
パウロは、野を超え、山を越え、海を渡り、地の果てに至るまで、イエスさまを伝えました。イエスさまを伝えたが故に、牢に入れられることもありましたし、鞭打たれることもありました。逃げるようにして町を出て行ったこともありますし、まったく受け入れられないこともありました。それでも、パウロは、喜んでいました。イエスさまが至る所で宣べ伝えられるということが、パウロの喜びだったからです。
イエスさまを宣べ伝えたパウロですが、イエスさまを知る以前は、パウロを苦しめた側の人でした。サウルという名で、ユダヤ人のエリートコースを歩んでいました。幼い時から、律法を学び、ユダヤ人の中で期待された若者でした。将来、有望で、若いながら、十字架で死んで復活したイエスこそが、キリストだと伝えている人々を黙らせようと陣頭指揮を取るほどでした。
しかし、そんな若者に、復活のイエスさまは「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか。」「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ、そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」(使徒9:1-6)と語りかけました。言葉を語りかけられ、大きな光に包まれて目が見えなくなった若者は、三日間、目が見えず、飲まず食わずで過ごしました。祈りの中で、アナニアという人が来て、手を置き、目が見えるようにしてくれるという幻が示されました。
パウロが、祈っているその時に、アナニアも祈っていました。彼は、イエスさまを信じていた人で、サウルによって仲間のクリスチャンたちがどれほど苦しめられているのを知っていました。
主は、「わたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」と告げました。主の言葉を聞いたアナニアは、サウルを訪れ、主が現れてくださり、主が自分を遣わしてくださったことを告げた時、パウロの目からウロコのようなものが落ち、洗礼を受けました。
サウロは、その後、パウロと呼ばれるようになります。(使徒13:9)主の霊に導かれて、イエス・キリストを宣べ伝えます。イエスさまこそ、救い主であるということを、かつての自分のように律法の奴隷になっているユダヤ人に、自分達こそ世界の中心にいて、世界を動かしていると思っている総督や王に、知識と知恵を有している誇り高き人々に、イエスさまこそが、救い主であると告げるのです。
悪の力に囚われていた者も、人々に利用されている人もいます。フィリピでは、河原を祈りの場としていた女性たちに出会い、彼女の心は開かれて、主信じて洗礼を受けました(使徒16:11-15)。
パウロは、どこに行っても、誰に対しても、イエスさまこそが、わたしの救い主であり、あなたの救い主であり、世界の救い主であると宣べ伝えました。パウロが宣べ伝えたイエスさまは十字架にかかって、三日目によみがえられ、今もと共にあって生きて働いてくださいます。
《祈り》
父なる神さま、聖なる御名を賛美します。世界の救いを成し遂げてくださったイエスさまの名が、世界中に知られますように。パウロの伝道旅行をテーマにキャンプが行われますが、聖書の言葉を通して、復活のイエスさまが一人一人と出会ってください。イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。 (2023年9月17日 橋本いずみ)