2024年2月25日 主日礼拝 説教

《 絶えず祈りなさい 》

テサロニケの信徒への手紙一 5:16~28

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。またあなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で必ずそのとおりにしてくださいます。兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶をしなさい。この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。わたしたちの主イエス・キリストの恵みがあなたがたと共にあるように。                (Ⅰテサロニケ5:16-28)

今日から、3月17日の教会創立記念日までの間、続けて「祈り」について語られている聖書の箇所から御言葉を聞いていきます。1995年の総会において宣教方針の概念図「わたしたちの教会の目指す姿」が制定されています。御言葉への傾聴に促されて、わたしたちの目指す教会の具体的なあり方として、「全一麦」を目指す教会、「心の友」となる教会、絶えず祈る教会、賛美に溢れる教会の四つが挙げられています。そして、教会の『日本基督教団西宮一麦教会50年の歩み』には、「西宮一麦教会はまさに祈りから生まれた。そして、この祈りは同時に、一麦領近隣への伝道へと発展していった。祈りから伝道が生まれ、伝道から教会が生まれたと言ってもよいであろう」(83頁)と記されています。このことから、今年の修養会は「祈り」をテーマにすることになりました。

祈りは、キリスト者にとって、祈りは不可欠なものであり、イエスさまがこの地上を歩んでおられた時に、父なる神さまに祈っておられたように、神さまはわたしたちを祈る

者にしてくださいました。祈りに行き詰まり、難しさを感じているかもしれませんが、祈るようになったということが、すでに神の恵みの出来事です。祈りは、神に対して開かれた態度であり、信じる者たちよって経験される神の近さと神への信頼の表現です。私たちは自分の力で祈るのではなく、神の霊によって、主イエス・キリストの名によって、祈ります。祈る時には、わたしたちの言葉を一つも逃さずに聞き、また言葉にならないその思いも汲み取ろうとしてくださる神がおられます。

そして、このような神との関係に生きている、主イエス・キリストの再臨に備えるキリスト者たちに、三つのこと(16-18節)と四つのこと(19-22節)が一まとまりになって勧められていて、「絶えず祈りなさい」と命じられています。

わたしたちを招いてくださった神さまは、キリストにあってわたしたちの罪を赦し、神の子としてくださいました。そして、その神は、わたしたちを、全く聖なるものとするべく働き続けてくださっています。「絶えず祈りなさい」との命令は、わたしたちを聖なる者に日々造り変えてくださる神の呼びかけです。神は、あらゆる場面で、わたしたちの最も近くにいて、わたしたちを助けてくださいます。

《祈り》

終わりの日に、救いを完成してくださる主イエス・キリストの父なる神さま。わたしたちは、主が再び来てくださるのを待っています。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝するようにと主がわたしたちに関わってくださっていることを、ありがとうございます。主が御言葉のとおりに、真実な方でいてください。霊の導きの中で、御言葉を聞き、よいものを大切にし、どんな小さな悪から離れることができますように。霊の導きに心開いて歩むものとならせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。           (2024年2月25日  橋本いずみ)