2024年11月10日 主日礼拝説教

《 新しい第二の契約 》

エレミヤ書 31:31~34

ヘブライ人への手紙 8:7~13

『それらの日の後、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。彼らはそれぞれ自分の同胞に、それぞれ自分の兄弟に、「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで、彼らはすべてわたしを知るようになり、わたしは彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである』」神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消え失せます。(ヘブライ人への手紙8:10-13)

神さまは、大祭司イエス・キリストを通して新しい契約を私たちと結んでくださいました。今日、天に名が聞き記され、新しい契約に加えられた一人の姉妹がいます。神さまとの新しい約束を思い起こし、主の御名をほめたたえます。

わたしたちが、信仰と生活の規範としている聖書は、旧約聖書と新約聖書からなっています。古い契約と新しい契約という意味です。聖書を通して、神さまの約束を思い起こします。なぜ、神さまはイエス・キリストによって新しい契約を結ばなければならなかったのかが、旧約聖書からの引用を持って語られています。

なぜ第二の新しい契約が必要となったのか。それは、最初の契約に欠けたところがあったからです。旧約聖書において、ノアの契約、アブラハムの契約、ダビデの契約などがありますが、ここでは、シナイ契約(出エジプト記20章)が思いおこされています。エジプトの国奴隷の家から導き出された民が、シナイの荒れ野で契約を結びました。この契約は、双方的な契約だったのです。神が語り、民が聞き従うというもので、民が、ロープを握っているのであれば、神は、もう片方のロープの端を持って、民を平安と安息へと導くというものでした。民は、必ず守ると約束してそのロープを掴んで歩き始めたのですが、この約束は実現しませんでした。なぜなら、民がロープから手を放したからです。神がロープから手を放したのではありません。民がロープを手放したのです。繰り返し、神さまは、安息へ導くためにロープを握らせようとしますが、すぐに手を放してしまう。これが、旧約の民です。そこで、この古い約束において、新しい約束が預言されました。古い契約で、すでに新しい契約が語られているということが、最初の契約に欠けたところがあるということを示しているのです。新しい契約は、人間の意思決定や人間の力によるのではなく、神の決意によるもので、神の決意が御子イエス・キリストに現れており、契約の仲介者として大祭司イエス・キリストがおられるのです。

 そして、新しい契約は、石の板ではなく、イエス・キリストによって精神と心に書き記されます。忘れてしまうこともなければ、手放してしまうこともありません。その人の内にしっかりと刻まれるのです。天にその名が、刻まれる時、その人の心にと共に新しい契約が刻まれます。主イエス・キリストによる新しい掟は、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)です。主なる神さまは、すべての者を新しい契約に招き、平安へと招こうとされています。

【祈り】

天の父なる神さま。イエスさまが、命を十字架で命を献げてくださり、新しい契約に私たちを招いてくださり、感謝いたします。主イエス・キリストの愛を受け取りました。それぞれ遣わされたところで、愛することを始めさせてください。すべてのものたちを、死と恐れと不安から自由にし、主にある命と平安の道へと導いてください。御名によって祈ります。アーメン。

  (2024年11月10日 洗礼式・聖餐式 橋本いずみ)