《 天使にまさる神の御子 》
詩編 110:1
ヘブライ人への手紙 1:5~14
神はかつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。
(ヘブライ1:13)
聖書には、天使が登場します。天使といえば、翼の生えた無垢な子どもの姿を想像するかもしれませんが、聖書が天使と言っているのは、そういう見た目の存在では、ありません。天使は、天的な存在、神さまから遣わされる使者のことです。新約聖書が記されていく時代にあっては、天使は、神の律法の仲介役と考えられていました(使徒7.38、53、ガラテヤ3.19)。天使を拝むという人たちもいたようです。
今日の御言葉では、天使を引き合いに出して、御子イエス・キリストは、神に仕えるだれよりも(天使よりも!)、優れているということと神の救いの計画においては、代わることのできない方であることが、7つの聖書の箇所を引用して述べられています。
7つの内、真ん中の4番目の引用だけが、天使に関するもので、あとは、御子イエス・キリストに関するものです。
最初の二つ①「あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ」(詩編2.7)②「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」(サムエル下7.14)は、父との関係を証言する言葉で、次に③「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」(申命記32.43)は、御子が礼拝されることを父が求めておられるということが述べられています。ちょうど真ん中の四つ目は、④「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」(申命記32.43)は天使についての引用の言葉で天使は過ぎ去ってしまうものであることを告げています。次の二つ⑤「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また公正の笏が御国の笏である、あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」(詩45.7-8)⑥「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。これらのものは、やがて滅びる。だが、あなた
はいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」(詩102.26-28)は、御子の永遠性と父なる神が御子に与えた不滅性。最後⑦「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで、わたしの右に座っていなさい」(詩110.1)は、御子が支配者としての地位が確立することを述べています。
天使と御子の共通点は、神から遣わされたものであるということです。しかし、御子は御父と特別な関係にあり、天使は束の間の存在ですが、御子は永遠です。天使は使えるものですが、御子は、御父と共に支配される方です。天使は礼拝されるものではなく、天使もまた御子を礼拝するものであり、御子によって救われるものたちに仕えるものです。
目に見えることから判断するのであれば、御子イエス・キリストは、十字架につけられ、この世の諸力によって砕かれ、打ち負かされたようで、美しい姿を保って、神に仕えている天使の方が優れているように見えました。しかし、粉々にされた人間を救うために御子は、十字架にかかって死に、その御子を神は、復活させ、高く神の右の座に上げられました。天使は、この御子によって救われるものたちのために、神によって遣わされ仕えています。
《祈り》 父、子、聖霊の主なる神さま。あなたが今日も救いの計画を推し進めてくださることを感謝します。あなたは、あらゆるものを用いて、御子の救いに与るようにと働いてくださいます。御子が成し遂げてくださった十字架の救いに基づき、主の御支配の中で守ってください。この地上での束の間の歩みを通して、永遠の主を知ることができますように。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2024年5月26日 三位一体主日 橋本いずみ)