2024年6月9日 主日礼拝説教

《 すべての人のための死 》

詩編 8:1~10

ヘブライ人への手紙 2:5~9

神は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです。…「すべてのものを、彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。ただ「天使たちよりも、わずかの間低いものとされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。

(ヘブライ2:5、8-9)

人間とは、何者なのでしょう。イエスさまが生きてくださったその姿によって、わたしたちは人として生きることを学びます。イエスさまが死んでくださったことによって、わたしたちは人として死ぬことを学びます。イエスさまから、人間とは何者なのかを教えられるのです。

人間は、他の動物と同じように神さまに造られたものであり、壮大な天の威光と比べてみても、世界を創造された神さまから見ても、取るに足りないものです。しかし、神さまの似姿として、この世界を委ねられました。人間を省み関わり続ける神さまの恵みはなんと大きいのかと、詩編8編は主を賛美しています。

この詩編8編がヘブライ人への手紙で引用されています。詩編8編で、「人間とは何者なのでしょうか」「人の子は何者でしょうか」というとき、特定の誰かではなく、人間について語られています。しかし、ヘブライ人への手紙では、「人間」、「人の子」は、御子イエスさまのことを示す言葉として引用されています。

福音書の中で「人の子」と言われると、それは、「人間の子」という意味ではなく、救いを実現するメシアを示すもので(ダニエル7章)、イエスさまがご自分を示す言葉として「人の子」と言っておられます(マルコ2:10)。詩編では、「神に僅かに劣るものとしての人」と言われていましたが、ヘブライ人への手紙では「天使よりもわずかの間、低いものとされた御子」について語られています。

ヘブライ人への手紙では、1章から天使を引き合いに出して御子の素晴らしさが語られてきました。御子は、天使にまさって素晴らしく、来るべき世を支配され、すべてのものが、御子に従うことになるのです。

しかし、この御子は、わずかの間、天使よりも低きものになられたのです。最も高いところで統べ治められる御子は、天使たちよりも低くなり地上で生活され、人間としても、最も低きに降られ十字架の死を遂げられました。

今日の聖書の箇所で、イエスさまのことが「イエス」と言われています。イエスさまについて語られる時、多くの場合は、主イエスとか、イエス・キリストとか、主イエス・キリストと言われます。しかし、ここでは、ただ「イエス」と言われています。この地上で人として生き死んだイエスということです。イエスは、死の苦しみを知っているのです。そして、この死は、人間を救うための死でした。イエスさまは、すべての人が死ななければならないのと同じように、その死の苦しみを共有して、死んでくださいました。すべての人を救うために、主は、最も低きに降ってくださったのです。

《祈り》

世界を統べ治められる主イエス・キリストの父なる神さま。わたしたちは、この世に生まれた以上、生きなければなりません。わたしたちは生きた以上、死ななければなりません。御子は、わたしたたちの救いのために、まったき人として、生き死んでくださいました。やがて、来るべき世においては、すべてのものが御子に従うことになると信じます。今、この時に、世界を統べ治められる主に従うことを始めさせてください。主の御名によって祈ります。

アーメン。 

(2024年6月9日  橋本いずみ)