《 約束された永遠の財産 》
出エジプト記 24:3~8
ヘブライ人への手紙 9:15~22
モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたこと全てを行い、守ります」と言うと、モーセは血を取り、民にふりかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」 (出エジプト24:6-8)
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、すでに約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。…こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。 (ヘブライ9:15、22)
「これは、あなたがたのために流された主の血潮です」この言葉は、わたしたちが聖餐にあずかる度に、聞く宣言の言葉です。私たちは、キリストの血潮によって、命が与えられており、キリストに支えられ、保たれていることを思い起こして、2025年の歩みを始めたいと思います。
今日から再びヘブライ人への手紙に戻って、御言葉を聞いていきます。ヘブライ人への手紙では、旧い契約と対比し、御子イエス・キリストによって私たちがどのような新しい契約(約束)の中にいるのかを語っています。
今日読んだ聖書の箇所には、15節「契約」16節以下「遺言」というのは、同じ言葉です。神さまとの契約は、遺言のようなもの。確定した事柄に従うようにとの指令、破ることのできない拘束性を持っているものです。遺言は、遺言書を残したものが生きている間には、意味がなく、死んで初めて、効力を発揮します。神が神の民と結んだ旧い契約においても(出エジプト記24章)、血が流される、つまり、犠牲の死がなければ実現しないものでした。ですから、「遺言」にしても、「契約」にしても、キリストの死をもって力をもつ事柄があるのです。神さまは、キリストを契約の保証人とし、わたしたちを共同の相続人にしてくださいました。
「血を流すことなしに、罪の赦しはありえない」と言われている通り、私たちに与えられている赦しは、安価なものではありません。キリストの命と引き換えに与えられたものであり、キリストによって与えられた新しい契約それは、高価で尊い。罪は、神から人を遠ざけます。赦しは、人を神に近づけます。御子がこの世に来られ、ご自身をささげてくださったことによって、わたしたちは、今日も、神に近づくことが許されています。
キリストの死によって、わたしたちに明らかにされた遺言は、「永遠の財産を受け継ぐ」ということです。神さまがおつくりになったもの、隅々にまで神さまの考えと心が行き届いているもの、それは「極めて良かった」と神さまがご覧になられたもの、神の国を受け継ぐということです。神さまが造られたものは、人の罪によって壊れてしまった、この壊れたものを御子が修復させて、御子が受け継がれました。そして、それを私たちも一緒に受け継ぐものとされると神さまは約束してくださっているのです。
【祈り】父なる神さま。あなたは、あなたが造られた美しいものをキリストと共に受け継ぐようにとわたしたちを召し出してくださいました。キリストが今日も、闇の中に光を創造し、罪の赦しをもたらすために働いていてくださることを、信じ感謝いたします。あなたが約束してくださっている永遠の財産を受け継ぐものたちをこの教会に与えてください。主の御名によって祈ります。アーメン。 (2025年1月5日 橋本いずみ)