2025年10月26日 主日礼拝説教

《 安息日に腰の曲がった婦人をいやす 》

ルカによる福音書 13:10~17

安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。…この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」こう言われると、反対者は、皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。(ルカ13:10-13、16-17)

安息日に会堂で起こった出来事です。イエスさまは、安息日には、会堂で教えていました。腰が曲がった女性は、会堂に礼拝に来ていた一人です。この人は、神の民の一員として、神の言葉を聞き、神を礼拝する生活をしていました。イエスさまは、礼拝に来ている一人の女性をご覧になって、呼び寄せられました。

この女性は、18年間、病の霊に取りつかれて、腰が曲がってどうしても伸ばすことができませんでした。これをイエスさまは、サタンに縛られているとおっしゃっています。

イエスさまが、「病気は治った」と言って手を置かれると、腰がまっすぐになって、彼女は神を賛美し続けた。こうして、イエスさまは、サタンに縛りを解かれたのです。

ここでイエスさまがなさったのは、癒しに他ならないのですが、病の霊、サタンの束縛からの解放です。そして、癒された彼女は、神を賛美するようになりました。サタンが、彼女の神への賛美を妨げていたのです。

このことを見ていた会堂長は、イエスさまが癒したということで、腹を立てます。会堂長は、「働くべき日は6日ある、癒しは、安息日以外の日にしてもらえ。」と言います。確かに、主なる神さまは、安息日に「いかなる仕事もしてはならない」と命じておられます(出20:8-11、申5:12-15)。

ここで、イエスさまが「主」といわれ、その主は、会堂長に「偽善者たち」と言われます。

会堂長は、安息日の戒めは知っているけれども、安息日を定められた神さまの御心を知らない。神さまが安息日を与えられた心を知らない。神がなぜ「いかなる仕事もしてはならない」と言われるのか。安息日の戒めでは、出エジプトでは、神が、天地を創造されたこと、申命記では、エジプトで奴隷であったあなたがたを導き出されたことが語られます。

あなたがたが、家畜を飼い葉桶から解いて、水場へと連れていくように、エジプトから導き出してくださった主なる神さまは、束縛から解き放たれます。むしろ、主なる神さまは、神の創造と救いを成し遂げた日として思い出しておられる。安息日を特別な日とせよ、と言われた神さまは、あの安息日に、イエスさまの手を介して、一人の女性をサタンの束縛から解いてくださいました。イエスさまは、この女性を「アブラハムの娘」と言っています。彼女は、身を起こして(ルカ21:28)まっすぐに立ち(使徒15:16、ヘブライ12:12)、神を賛美し続けました。

《祈り》 わたしたちを創造し、贖い出してくださった主なる神さま。イエスさまが、今日も、この会堂に御言葉をもって姿を現して、私たちに触れ、神さまの創造と救いの御業を明らかにしてくださったことを感謝します。自らの力では、身を起こすことも、まっすぐに立つことができません。主よ、あなたがいつも御手をもって立ち上がらせ、支えていてください。主の御手の温もりを感じながら、神を賛美し続けることができますように。主の御名によって祈ります。アーメン。(2025年10月26日 橋本いずみ)