2025年4月27日 主日礼拝説教

《 イエス・キリストは変わらない 》

ヘブライ人への手紙 13:7~16

あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブライ13:7-8)

復活したイエスさまに出会っていただいた者たちには、天の故郷を目指して、命の道を歩みました。支配されていないイエスさまが、わたしの救い主として、この人生に関わり続けてくださる。

 わたしたちは、皆、神の言葉を語ってくれた導き手を持っています。具体的な顔が思い浮かび、声が聞こえてくるような気がするという人もいるかもしれません。キリストの教会には、いつの時代にも導き手が立てられてきました。教会の導き手は、神の言葉を語ります。これは、単に話した内容ではなく生き方です。その生き方を繰り返し見て、その信仰を見倣いなさい。

イエス・キリストが永遠に変わらない。イエスさまが救い主でいてくださることは、昨日も、今日も、またずっと永遠までまったく同じ。

イエスさまが救い主でいてくださるということが、神の言葉を語る者たちの生き方を支え続け、また、キリストに結ばれている者たちを支え続けます。

あの十字架にかかって命を献げてくださった主は、死をもって死を打ち滅ぼし復活した主イエスさまは、あなたの救い主であることをやめない。あなたを天の故郷に導くために、執り成し、働き続けてくださっている。あなたの救いのために、世界の救いー世界が神の祝福を知るために、昨日も、今日も、ずっと働き続けてくださいます。

 絶えず変化するもの中でわたしたちは生きていますから、不安になり、惑わされそうになって、揺らぐことがあるかもしれません。信仰共同体である教会は、恵みによって養われます。そして、恵みによって、信仰共同体とそこに属する一人ひとりの心が強くなるーキリストに結ばれた人格としてしっかりと立つーのです。

イエスさまは、宿営の外で苦難に遭われた。わたしたちの将来に、苦難がないわけではない。むしろ苦難が予想されるところへと、わたしたちは進んでいかなければならない。けれども、ため息をついてそこに向かって行くのではなく、大胆に勇気をもって、進んでいきます。イエスさまが、苦難のために外へと出て行かれて、私たちを救ってくださったからです。そして、そのお方をわたしたちは、わたしたちの主としているから、このお方のおられるところへと出て行くのです。

 イエスさまは、完全な犠牲となってくださいました。わたしたちがイエスさまと同じ犠牲を捧げる必要はありません。わたしたちは、イエスさまと一緒に外に出て、ただただ神をほめたたえる、神の名を公然と告白し、愛の業を行って、わたしたちの持っているものを分かち合います。神さまは、喜んでくださいます。

《祈り》

主イエス・キリストの父なる神さま。十字架と復活の主が、ずっと変わらずに、信仰によって生きるものたちを呼び起こし、救いのために教会の導き手を立て神の言葉を語り続けてくださいました。大きな主の救いの計画の中に、わたしたちの教会も、わたしたちの人生も置いてくださいました。きのうも、今日もずっと変わらないイエス・キリストがいてくださることを覚えつつ、イエスさまと一緒におらせてください。主をほめたたえ、神の名を口にし、愛の業を行い、与えられているものを分かち合わせてください。主の喜びにあずからせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。(2025年4月27日 教会総会 橋本いずみ)