2025年5月4日 主日礼拝説教

《 信仰によって、試練を受けた時に 》

ヘブライ人への手紙 11:17~19

信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。(ヘブライ11:17-19)

ヘブライ人への手紙では、信仰を与えられて、神を信頼して神との関係に生きた者たちが挙げられています。今日は、再びアブラハムが登場しています。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセと続いていきますが、死に直面して、信仰が明らかにされました。

アブラハムは、信仰によってイサクをささげました。創世記22章の出来事をこのように語っています。アブラハムの信仰に対する試練でした。試練は、どれほどの苦難に耐えられるかを試す手段ではありません。この試練を通して、神がアブラハムを全面的に請け負っていることが明らかにされます。

神さまが、アブラハムに「わたしが命じる山の一つに登り、彼(愛する独り子イサク)を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」と命じられました。なんて恐ろしいことを神は命じられるのかと思う人もいると思います。確かに、人間的な見方:神なき世界、神が共におられない人生、見えることのみに目を注ぐこと、過去から現在を見ている視点で見るならば、恐ろしく破壊的な命令です。しかし、アブラハムは、約束を実現することのできる力を唯一持っておられる主の言葉として、信仰をもってこの言葉を聞きました。ですから、アブラハムは「焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」と答えるのです。

神が求められたのは、焼き尽くす献げ物―全部を神のものとする献げ物。献げる人の全面的な献身を表します。主がその人を全面的に受け入れる(レビ1.3)ものです。焼き尽くす献げ物をささげよと命じられる神さまは、主は、アブラハムの全部を受け入れる覚悟があって、このことを命じておられます。

アブラハムは、それがどのように、いつ、どこで、実現するかを知りませんが、神が約束を実現されることが知らされていて、そのビジョンをもって、主の言葉を聞き、イサクをささげました。結果的には、主が備えてくださった小羊をささげて、イサクを返してもらいました。

アブラハムは、イサクを返してもらったのは、死者の中から返してもらったのと同じこと、つまり、復活の予型をアブラハムは経験したとヘブライ人への手紙は伝えています。

イエスさまが完全な献げ物となってくださって、確かに私たちを神の子としてくださいました。信仰をもって御言葉に従って、献げるとき、私たちが直面する試練や苦難に、主が備えてくださるものを見出すことができます。わたしたちは、天の国から遣わされた一人として、祝福の源として、この週もそれぞれのところに遣わされていきます。

《祈り》

主イエス・キリストの父なる神さま。あなたが祝福の約束に誠実でいてくださること、わたしたちのすべてを請け負ってくださる主であることを信じ感謝します。試練や苦難のとき、十字架と復活の主によって打ち立てられた新しい約束を思い起こさせて、必ず約束を実現される主への信頼を深めさせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2025年5月4日 橋本いずみ)