《 主が救われる人々を加えてくださる 》
神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。(使徒2:47)
今日は、ペンテコステです。教会の誕生を祝う主日です。教会は、主によって呼び集められた共同体のことです。イエスさまに従う弟子たちが、聖霊によって一つに結び合わされて、キリストの体とされます。弟子たちは、聖霊が与えられて、主イエス・キリストが、行なったことを行い、語られたことを語るようになりました。
1995年6月11日この会堂の献堂礼拝が行われたことを思い起こし、礼拝後に、献堂30周年の記念会が行われます。わたしたちの群れに、神さまが与えてくださった会堂として改めて感謝して受け取ります。
聖霊が与えられた弟子たちの群れー教会の様子が、今日読んだ聖書の箇所には書かれています。聖霊に導かれるものたちの生活。毎日、ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた。
彼らは、神殿の中でひたすら心一つになっていました。神殿は、イエスさまにとっては、父の家(ルカ2:49)であり、祈りの家(ルカ19:46、イザヤ56:7)。祭司が安息日の職務を果たすところ(マタイ12:5)、犠牲や祈りが献げられる信仰の場(ルカ2:22-、27)、キリストの啓示の舞台(ルカ2:22-、マタイ21:14)、教えの場(ルカ19:47)福音が告知される場(20:1)、出会いや会話(論争)の場(マルコ11:27−28、ヨハネ5:14)、危険の迫る場(ヨハネ8:59)でした。聖霊が与えられた弟子たちは、このようなところで、毎日心一つになっていたのです。弟子たちは、イエスさまが祈りの家とおっしゃるところで、イエスさまの姿を思い起こして、心一つになっていました。
家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をしていた。イエスさまの十字架と復活―わたしたちに対する神の愛、神さまが私たちを守ってくださるとの確信ゆえに、彼らは喜ばずにいられませんでした。真心をもって、まったく神に心を向けて、終わりの時に心を向けて、食事をしていた。
彼らは賛美をし続け、民全体の前で好意(恵み)が与えられていました。このような生活に救われる人々が加えられたのも、一つにされたのも、主の働きでした。
この日、私たちの教会に主が与えてくださったもの、起こしてくださったことを思い起こし、主を賛美します。
この会堂の建築にあたって、イエス団の今井鎮雄理事長が仰られた言葉の中に、「かつて、一麦は、賀川先生の祈りの場所であり、伝道の基地であり、地域への奉仕の場所であり、同志の教育の場所であり、先生自身の憩いの場所であった。」(「いちばく」新会堂献堂増刊号、11頁)とありました。
神さまが、この場所を、この会堂を与えてくださいました。主からの賜物をここで受け取り、ここを基地として、主が与えられる任務にあたるものでありたいと思います。
《祈り》教会の主イエス・キリストの父なる神さま。今日も私たちを祈りの家へと連れ戻してくださったことを感謝します。イエスさまが、このところで、私たちと出会い、ご自身を明らかにしてくださること、私たちの声を聞いてくださること、ありがとうございます。どうかこの教会を、主にある安息を与えられるところとし、伝道の基地とし、地域に仕えるものとならせてください。このところを、いつもあなたへの賛美で満たしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2025年6月8日 ペンテコステ 橋本いずみ)