2020年4月19日主日礼拝説教

《 来て、見なさい! 》

ヨハネによる福音書   1:43~51

フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものがでるだろうか」と言ったので、フィリポは「来て、見なさい」と言った。…ナタナエルは答えた「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」さらに言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に登り降りするのを、あなたがたは見ることになる」(ヨハネ1:43〜51)

・ 主のもとへと招く

「来て、見なさい!」フィリポが主イエスを紹介し、ナタナエルを主のもとに招いたときに、用いた言葉です。

・ わたしのことを知っていてくださる方

主イエスは、ナタナエルのことを知っておられました。それは、フィリポによって教えられたからではありません。既にいちじくの木の下に彼がいるのをご覧になっておられたのです。いちじくの木の下というのは、一説によると聖書が教えられ、学ばれる場ところだったと言います。ナタナエルは、モーセが律法に記し、預言者たちが書いている神(聖書が証ししている神)について学んでいたのです。

ナタナエルは、主イエスのことをフィリポから紹介される前に、すでに主イエスがご覧くださっていたということを知り、主を信じるようになりました。主イエスは、わたしたちが、この時がキリストとの出会いの原点であると思うときよりずっと以前から、主イエスはわたしたちのことを知っていてくださいます。

・ もっと偉大なことを見るようになる

もっと偉大なことを見るようになる。偉大なこととはなんなのか。キリストが十字架へと挙げられることによって、天が開かれるということです。

天使たちが登り降りするのを、見た人がいました。ヤコブです(創世記28:10〜22)。ヤコブは、逃避行の中で、主に出会っていただきました。八方塞がりの状況の中で、天が開かれていることを知り、天の門が開かれたところを神の家(ベテル)と呼び、そこで、神を礼拝しました。主イエス・キリストが十字架にあげられることによって、天の門が開かれました。

《祈り》 十字架と復活の主イエス・キリストの父なる神さま。御子イエス・キリストが父なる神とともに歩まれたように、わたしたちをその交わりに招いてくださることを感謝いたします。わたしたちが、あなたを求め、あなたへと目を向けるずっと以前に、主よ、あなたはわたしたちを知っていてくださいました。八方塞がりのような状態にあっても、御子イエス・キリストによって、天が開かれています。主が既にその眼差しの中においてくださっている方々を、天の門へと、主イエス・キリストのもとへと「来て、見なさい」と招くことができますように。主の御名よって祈ります。アーメン。

(2020年4月19日 橋本いずみ)