2020年7月5日 主日礼拝説教

《 見よ、神の小羊 》

ヨハネによる福音書   1:19~34

その翌日、ヨハネは自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。『私の後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証した。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上に留まるのを見た。わたしはこの方を知らなかった

しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が聖霊によって洗礼を授ける人である』と私に言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証したのである。」

(ヨハネによる福音書 1:24〜34)

「見よ、神の小羊」

イ エス・キリストは、洗礼者ヨハネのところに来られました。未だ知らぬ方を指し示して洗礼を授けてきましたが、そこに主イエス・キリストが来られるのです。主イエス・キリストが来られた時、洗礼者ヨハネは、はっきりとキリストを指し示し、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」「この方こそ神の子である」と証しするようになります。

神の小羊

神の小羊。かつてイスラエルでは、毎日、朝夕の二度、絶やすことなく犠牲の羊が捧げられていました。(出エジプト29.38)こうして、宥めの香りがささげられ、神はイスラエルの神として、民とともに歩んでくださいました。

罪を取り除く小羊

主イエス・キリストは、罪を取り除く小羊として、完全な犠牲となってご自身を捧げてくださいました。(イザヤ53章)。朝に夕に捧げられる犠牲として、キリストは、ご自身を今日も捧げてくださっています。私たちは、自分の罪に対する罰に恐れることなく、神から見放されてしまうと怯えることもなく、神の栄光を仰ぎ見、神と共に歩むことがゆるされています。

世の罪を取り除く

「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。罪を犯したことがないというなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉をわたしたちの内にありません。わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ、罪を犯したとしても、御父のもとに、弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いやわたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(1ヨハネ1.9-2.2)

罪とは、目標から逸していることを意味します。神は世界を怯えさせ、苦しませるために世界を造られたのではありません。むしろ、その初めに、神は、祝福し、支配を委ねられました。しかし、人は神から命じられたことよりも、自分がこうなりたいと自分の思いを優先するようになりました(創世記3章)。それでも、神は、この世を愛しておられ、愛する御子をお遣わしになりました。

 

《祈り》 

天の父なる神さま。イエス・キリストが、今日もわたしたちのために、ご自身を捧げ、わたしたちの罪を、そればかりでなく、この世の罪を取り除いてくださることを信じ、感謝します。主よ、この週も、あなたの子として、あなたの民としてイエス・キリストが歩んだように、歩ませてください。主の御名によってお祈りします。アーメン。

(2020年7月5日 橋本いずみ)