《 わたしのもとに来て、休みなさい 》
マタイによる福音書 11:28~30
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。 (マタイによる福音書11:28~30)
皆さんは、疲れていますか? 自分には耐えきれないと思う重荷がありますか? しんどいなと思うことありますか?
学校に行きたくない日、さぼりたい日がありますね。子どもたちも、疲れてしまうことがあります。大人たちもそうです。大人の人も、仕事行きたくないなと思う日があることでしょう。もうちょっと寝かせてほしい…今朝も、そのように感じながら、教会に来た人もいるかもしれません。
イエスさまは、疲れている人がいることを知っています。降ろせない重荷があることも知っています。
イエスさまは、疲れている人に、もっと頑張りなさいとは言いませんでした。そうではなくて、「わたしのところに来なさい。休ませてあげよう」と言われました。
イエスさまは、賢い人たちには隠していて、小さな子どもたちに教えてくださったことです。それは、イエスさまの軛を負って、イエスさまから学んだら、安らぎがある、ホッとできる、安心していられるということです。
疲れている人は、イエスさまのところに来てください。自分では降ろせない重荷がある人は、イエスさまのところに来てください。
イエスさまは、賢い人たちには秘密にしておいて、子どもたちに、このことを教えてくれました。子どもたちが、イエスさまを通して父なる神さまを知ることができることは、父なる神さまが喜ばれることです。
だから、子どもたちも大人も賢くなろうとしないで、イエスさまから学んでください。とにかく、ポイントは、イエスさまの真似をするということです。イエスさまが、「天地の主である父よ」とお祈りしたように、真似をしてお祈りします。「あなたをほめたたえます」とおっしゃった真似をして、賛美します。福音書の中には、イエスさまのことがたくさん書いてありますから、その真似をするんです。
疲れちゃったとき、どこで休みましょうか? 誰と共に休むか? イエスさまのもとに来て、休みましょう。
そして、できるだけ、神さまがこの天と地を造られたということが、よく分かるところで休みましょう。どんなに、だらだらしていても、たくさん寝ても、イエスさまのところにいかなかったら、わたしたちは疲れるばっかり、しんどくなるばっかりです。イエスさまは、言いました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
《祈り》
天と地を造られた父なる神さま。爽やかな風が吹いて、木々が揺れ、金木犀の香りが漂っています。わたしたちが見るもの、聞くこと、嗅ぐもの、食べるもの、触って感じること、そのすべては、神さまが造られたものです。疲れている人たち、降ろせない重荷を担っている人たちを、イエスさまのもとで、休ませてください。イエスさまの真似をしながら、歩ませてください。イエスさまの優しさの中で、わたしたちを育ててください。イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。
(2022年10月23日子どもと大人の合同礼拝
橋本いずみ)