2022年11月27日 主日礼拝説教

《 約束の日が来る 

エレミヤ書33:14~16

  見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生えいでさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるだろう。   (エレミヤ書 33:14~16)

エレミヤは、南ユダ王国が滅亡へと向かう時に、主によって預言者として召されました(エレミヤ1:4−19)。南ユダ王国は、北イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされたように、バビロンによって滅ぼされると(エレミヤ32:3-5)告げました。災いの理由を「主の声に聞き従わず、またあなたの律法に従って歩まず、あなたが命じられたことを何一つ行わなかった。」(エレミヤ32:23)と告げています。

バビロンの軍隊がエルサレムを包囲し、主がエレミヤを通して語られた言葉は、現実のことになろうとしていました。エレミヤは、エルサレムとユダの滅びを預言したゆえに、王の宮殿の獄舎に勾留されていました。そのような中、彼は、アナトトの畑―すでに敵国が占領していた土地―を、恵みの約束が果たされるとしんじて(エレミヤ29:10、32:42、33:9)購入しました(エレミヤ32:6-15)。

主なる神は、エレミヤを召し出されたときに、「見よ、今日あなたに、諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは植えるために」(エレミヤ1:10)と告げ、それが果たされることを見張っていました(エレミヤ31:28)。「わたしは彼らに恵みを与えることを喜びとし、心と思いをこめて、確かに彼らをこの地に植える。かつて、この民に大きな災いをくだしたが、今や彼らに約束した通り、あらゆる恵みを与える」(エレミヤ32:41)とおっしゃいます。

わたしたちが、信じて待つことができる根拠となるのは、「主が約束を与えられた」ということと、約束を与えた方は、その約束に誠実であり、約束が果たされるように、見張っているということです。

神は、主の声に聞き従わなかったユダの家とイスラエルの家を他国の手にゆだね滅びるのをご覧になりました。それは、当時の人々にとっては、聞きたくない、見たくない、最も絶望的なことでした。しかし、もっと恐ろしいことは、神の御声に聞き従わず、罪の中にとどまることです。エレミヤは、神に祈るとき、「ああ主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造られました。あなたの御力の及ばない事は何一つありません」と祈りました。災いに、私たちの力は及びません。しかし、わたしたちが経験するあらゆる出来事の中で、神の御力が及ばない事は、何一つありません。

主イエス・キリストは、再びやって来るときを約束して、「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭をあげなさい。あなたがたの解放の時は近いからだ」(ルカ21:27-28)とおっしゃいました。

今年も待降節を迎えました。信仰生活は、いつでも恵みの約束が果たされる日が来ることを、信じて待つ生活ですが、待降節を迎えて、一層、わたしたちは主の恵みの約束が果たされるということに心を向けて、信じて待ちます。

《祈り》 

生きとし生けるものの神さま、わたしたちは、あなたの仰せを聞こうとせず、あなたの内にあることよりも、罪の支配の中にいることを選ぼうとしていました。赦してください。罪の赦しのために、御子がおいでくださいました。あなたが恵みの約束を果たされると信じ、身を起こして、頭を上げ、再び主がおいでくださるのを待ち望みます。御子イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

            (2022年11月27日 橋本いずみ)