2022年12月25日 主日礼拝

《 闇の世を照らす光 

ヨハネによる福音書 1:1~14

言のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。…その光はまことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。           (ヨハネ 1:4~5、9〜14)

神の御子イエス・キリストは、闇の世を照らす光としておいでくださいました。キリストが生まれたとき、ヘロデ王は、2歳以下の男の子を皆殺しするように命じました(マタイ2:16−18)。ヘロデ王のような人が利己心と虚栄心によって支配している世にキリストは、光としておいでくださり、ご自分を受け入れ、信じる人々には、神の国の王家の子となる特権をお与えになりました。

聖書の中で、子との対比されるのは、奴隷と孤児です。奴隷は、仕事をこなすことで、存在意義を確立しなければならないものです。いつでも、仕事をうまくこなさなければ、追い出されてしまうという不安にさらされています。しかし、子は、仕事の成果とは関係なく、子であるというだけで、食卓に迎え入れられます。

孤児は、どこにも帰属せず、助けてくれる存在を持たず、自分の生き方を決定する力を持たないものです。人を追いやろうとする闇の力によって生み出された、力なき犠牲者です。神さまは、イエス・キリストによって、神の国の王家の子として迎えてくださいます。

イエス・キリストは、利己心と虚栄心によって支配されている闇に生きるすべての人たちを照らすために、この世においでくださいました。今も、キリストがお生まれになった時代と同じように、成果をあげないと居場所がなくなると思っている人たちや、助けてくれる人がいないと感じている人、利己的な支配に苦しみ、絶望した人々が世界には溢れかえっています。しかし、聖書は「闇は、光を理解しなかった」他の訳では、「闇は光に打ち勝たなかったと」と告げています。どんなに闇の力が強くても、光を征服することはなかったのです。そして、今日も、キリストの光は闇の世を照らし、神の子となるように、わたしたちを招いておられます。

神さまは、子どもたちが、奴隷のように振る舞ったり、孤児のように生きるのではなく、新しい生き方をすることを望んでおられます。神の子たちは、神さまが何をなさったのか、今何をなされているのか、そして何をなそうとしておられるのかを知って、自分の生き方を選び取ることができます。

イエス・キリストは、利己心や虚栄心をもって、人を奴隷化し、阻害することに加担する力から解き放ち、わたしたちを神の国の王家の子として迎えるために、人となられた神です(フィリピ2:1−13)。

《祈り》 闇の世を照らす光の主イエス・キリストの父なる神さま。今日もキリストの光を輝かせてください。あなたがわたしたちを神の国の王家の子として迎え入れてくださったことを感謝します。仕事をうまくこなさなければと不安になっている人たちや、助けてくれる存在を持たない人たちを、招いてください。神の子とされた者たちが、あなたの心を受け継いで、生きることができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2022/12/25 クリスマス 橋本いずみ)