2022年5月8日 主日礼拝説教

《 光の子となるために 

ヨハネによる福音書  12:27~36

今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられる時、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスはご自分がどのような死を遂げるかを示そうとしてこう言われたのである。すると群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」イエスは言われた。「光はいましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩くものは、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。(ヨハネ12:31−36)

主は、ご自分がどのような死を遂げるかを示して語っておられました。イエスさまの死は十字架の死であって、多くの実りのために一粒の麦が地に落ちるようなものであり、地上から上げられることでした。その死は、復活へと向かう死であり、よみがえった主は高く天に上げられます。そして、主は、あげられる時、全ての人を自分の元に引き寄せるだろうと語られました。

 群衆の言葉は、イエスさまに対する質問です。自分たちが知っていることとの違いを挙げて、高く上げられるべき「人の子」とは誰かと問います。

それは、あなたがたの間にいる光(イエス・キリスト)です。そして、メシア(救い主、キリスト)は、この地上の延長として永遠にいつもおられるのではなくて、「上げられる」ことによって永遠にいつもおられる方になるのです。

イエスさまが「今しばらく」あなたがたの間にあるとおっしゃられた通りイエスさまのこの地上での歩みは、限定的なものです。わたしたちのこの地上での歩みも限定的なものです。イエスさまと私たちのこの地上での歩みは「今しばらく」のことであり、この間に、「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」と主は命じておられます。

わたしたちは、光を信じることによって、光の子(1テサロニケ5:5)にしていただきます。私たちの闇が光によって照らされることによって、光にしていただきます(エフェソ5:8)。わたしたちのうちには、闇があったのです。心の闇。家族の闇。社会の闇。それぞれに、罪によって生み出された隠された部分があります。主は、闇の世で光となられ(ヨハネ1:5、)闇に留まり続けることのないように、光としておいでくださいました(12:46)。さらに、私たちが、この地上にあって、光の子になることを願っておられます。光の中にあって、光の子続けるための秘訣は、兄弟(クリスチャン、主によって結ばれた人たち、教会の人たち)を愛することです。(1ヨハネ2:10-11)。「子たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、イエスの名によって、あなたがたの罪は赦されているからである。」(1ヨハネ:2:12)

《祈り》 闇の中で輝く光なる主よ、わたしたちをあなたの光で照らしてください。主がわたしたちを照らし、ご自分のもとへと引き寄せようとしてくださっていることを信じ感謝します。主よ、わたしとともにいてくださいとは祈りません。主がわたしたちからはなれて高く上げられたからこそ、わたしたちの救いが実現したからです。主よ、あなたがいつもわたしたちを引き寄せてくださるところへ向かっていくことができるように、助けてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2022年5月8日橋本いずみ)