2026年2月1日 主日礼拝説教     


《真ん中に住まう主》

ゼカリヤ書 8:1~8マタイによる福音書18:15~20万軍の主の言葉が臨んだ。
「万軍の主はこう言われる。
わたしはシオンに激しい熱情を注ぐ。
激しい憤りをもって熱情を注ぐ
主はこう言われる。
わたしは再びシオンに来て
エルサレムの真ん中に住まう。
エルサレムは信頼に値する都と呼ばれ
万軍の主の山は聖なる山と呼ばれる。
万軍の主はこう言われる。
エルサレムの広場には
再び、老爺、老婆が座すようになる
それぞれ、長寿のゆえに杖を手にして。
都の広場はわらべとおとめに溢れ
彼らは広場で笑いさざめく。
万軍の主はこう言われる。
そのときになって
この民の残りの者が見て驚くことを
わたしも見て驚くであろうかと
万軍の主は言われる。
万軍の主はこう言われる。
見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも
わたしはわが民を救い出し
彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。
こうして、彼らはわたしの民となり
わたしは真実と正義に基づいて
彼らの神となる。

(ゼカリヤ書 8:1~8)

私たち教会は、何をするにしても祈りから始めます。礼拝は
勿論のこと、諸集会、奉仕活動、小さな集いなど、祈りなしに
は始められません。何故なら、主がそこにおられ、主が導いて
くださり、主の御心が行われることこそが、最善であり幸いで
あることを知っているからです。
しかし、主の御心は、いつでも私たちに明らかなわけではあ
りません。むしろ、主の御心が分からず、問い続けるときの方
が多いかもしれません。その期間があまりに長く、また苦しい
とき、主は私たちと共におられるのか、私たちを導いておられ
るのか、と疑いや不安を抱くことさえあります。
このゼカリヤの言葉が語られたとき、イスラエルの民はまさ
にそのようなただ中にありました。バビロン捕囚から帰還し
た民は、荒れ果てた故郷、破壊された神殿、外敵からの攻撃、
経済的困窮といった、大変厳しい現実の中におかれていま
した。
その民に向かって主は力強く語りかけます。「わたしは再び
シオンに来て、エルサレムの真ん中に住まう。」(3節)シオン
とは、神殿があったところであると同時に、神が御自身の民
と出会われる場所、すなわち礼拝の中心を意味します。つま
り、主は彼らの礼拝のただ中に来られ、民との交わりを回復
すると約束しておられるのです。そして、その礼拝から、民の
歩み、生活は整えられていきます。
すべては、民の祈りの熱心さによるのではなく、約束を忘れ
ることのない主の真実、ご自分の民を導かれる万軍の主の
熱情によって始められ、実現されていきます。
その約束はまさにイエス・キリストによって実現し、その恵み
の中にわたしたちは置かれています。主イエスは、言われま
した。「二人または三人がわたしの名によって集まるところに
は、私もその中にいるのである。」(マタイ18:20)まさに、今、
私たちのただ中に主が共におられます。
(2026年2月1日 須磨月見山教会 高橋 信)