2023年11月12日 主日礼拝

《 墓に行って見たもの 》

ヨハネによる福音書 20:1~10

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。… そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより早く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布がおいてあった。しかし、彼は中に入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布がおいてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

(ヨハネ20:1、3-8)

私たちは、週の初めの日に礼拝をささげます。クリスチャンたちは、週の初めの日を大切にして来ました。週の初めの日に、復活の主イエス・キリストと出会いました。(マタイ28:1、マルコ16:2、ルカ24:1)。週の初めの日に、クリスチャンたちは、パンを割くために集い(使徒20:7)聖なる者たちのための献げものを取り分けました(1コリント16:2)世々のクリスチャンたちは、十字架と復活のキリストを思い起こし、また、聖なる者(主の慈しみに生きる人々)を思い起こしていたのです。

主イエス・キリストが十字架にかかったのは、特別な安息日の準備の日であり(19:31)、世の罪を取り除く神の小羊(1:29)となられました。そして、復活されたのは、週(安息日)の初めの日のことだったと福音書は告げます。主は、安息日に寝たきりだった人がとこを担いで歩き出し(5:9)、目の見えない人の目を開けられました(9:14)。主が癒しをおこなわれると言うことで、人々との間に論争が起きました。(9:16)。安息日を守ることは、神の民の特別なあり方として、とても大切にされていましたし、主イエス・キリストのよみがえりによって生み出された新しい神の民にとっても、週の初めの日は、とても大切にされています。

マグダラのマリアは、早朝の暗闇の中、墓に行きました。マリアは、闇(ヨハネ1.5、8.12、12.35、1ヨハネ1.5、2.8,9,11)の中にいたのです。しかし、それは、間もなく光に照らされる闇でした。

マリアは、イエスさまの墓に行って、墓石が取り除けられているのを見て、その遺体が盗まれたのだと思いました。そのことを聞いたペトロと主の愛しておられた弟子は、墓に向かい走り続けます。ペトロよりももう一人の弟子の方がずっと早く走り、先に到着しました。この弟子は、屈んで覗き込んで亜麻布が横たわっているのを見るだけで、墓の中には入りませんでした。後からやって来たペトロは、墓の中に入っていって、じっくりと見続けました。ペトロは、亜麻布が横たわっているのを見続けます。もし、主の体が盗まれたとするのであれば、亜麻布も一緒になくなっていて、そこには、何もなかったでしょう。しかし、主の体は、ありませんでしたが、もぬけの殻となった亜麻布が綺麗に横たわっていたのです。主はもう墓の中には、おられない、ペトロは、この事実をじっくりと見続けました。私たちは、週の初めの日に、主はもう墓の中におられないということをしっかりと見つめます。墓からよみがえられた主は、嘆き悲しみ、恐れ、閉じこもっている弟子たちに出会うために動き出しておられます。

《祈り》復活の主イエス・キリストの父なる神さま。週の初めのにに主はよみがえられました。主のよみがえりの事実をもっとじっくりと見て、味わわせてください。闇の世を復活の主が、照らしてくださって、命の光をわたしたちに与えてください。光の中を歩むものとさせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。(2023年11月12日聖餐式  橋本いずみ)