2023年11月19日 主日礼拝説教

《 信じることと理解すること 》

ヨハネによる福音書 20:1~10

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより早く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布がおいてあった。しかし、彼は中に入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布がおいてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。

(ヨハネ20:3-10)

イエスさまの墓から石が取り除けてあるのを知ったペトロともう一人の弟子は、一緒に墓に向かって走って行きました。しかし、もう一人の弟子の方がずっと早く走り、先に墓につきました。けれども彼は、外から墓を覗くだけで、中には入りませんでした。ペトロは、彼の後に続くようにして、墓に到着し、墓中へと入っていって、それをじっくりと見続けました。イエスさまの遺体を包んだ亜麻布と顔を覆った布がそこにはありました。ペトロがそれをじっと見ているところに、もう一人の弟子も墓の中に入ってきました。

もう一人の弟子は、見て、信じました。イエスさまの最初の弟子のうちの一人フィリポは、「ナザレから何か良いものがでるだろうか」と言うナタナエルに「来て、見なさい」と言いました(ヨハネ1:47)。そこで、イエスさまは、「もっと偉大なことを見ることになる。」「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上を上り降りするのを、あなたがたは見ることになる」(ヨハネ1:50,51)と言われました。

もう一人の弟子は、イエスさまの墓の中に入ってきて、イエスさまがかつておっしゃっていた偉大なことの始まりを見て、信じました。

 ここで、もう一人の弟子は、復活の主イエス・キリストと出会ったわけではありません。弟子たちが、復活の主を見て、喜び、信じるようになるのは、復活の主が現れてくださってからです(20:19-29)。しかし、もう一人の弟子は、まだ主を見ていないのに、主が墓におられないことを見て、先んじて、信じました。もう一人の弟子が信じたと言うのは、信仰に間違いないのですが、復活の主を信じたとははっきり言えない信仰でした。そのことについて、ヨハネによる福音書は、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」(9節)と言っています。わたしたちは、イエスさまをキリストだと信じています。聖書が教える信じることと理解することの順序は、信じて、理解するようになるということです。その信仰は、目に見える事実によって、確証されて信じるようになるのではなく、見ていなくても、理解していなくても信じて歩んでいく中で(1ペトロ1:8)、見えない事実が示されて(ヘブライ11:1)いくのです。わたしたちには、まだ理解できないことがあります。しかし、それは、聖書に示されて、やがて理解するようになっていきます。

《祈り》

復活の主イエス・キリストの父なる神さま。わたしたちは、キリストを見たことがありませんが愛しており、今見なくても信じており、喜びに満たされています。あなたのなさることのすべてを私たちは理解できていませんけれども、聖書に書かれていることを手掛かりに、復活の主にお会いし、あなたのなさることを理解していくことができるように導いてください。主の御名によって祈ります。アーメン。(2023年11月19日  橋本いずみ)