2023年4月30日 主日礼拝説教

 聖書ってなんですか?

テモテへの手紙二 3:14~17

だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだか知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行いことができるように、十分に整えられるのです。   (Ⅱテモテ 3:14~17)

 聖書とは、なんでしょうか?聖書は、神さまの言葉です。日本基督教団信仰告白では、「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。」と告白しています。

聖書は、わたしたちに、神さまの意思を教えます。わたしたちが他人の心の中をのぞいて見ることができず、その言葉によって、考えや思い、気持ちや心を知るように、神の言葉である聖書を通して、わたしたちは、神さまの考えや思い、気持ちや心を知ります。

聖書は、書物ですから、書いた人がいるわけです。今日読んだ聖書の箇所ですと、「キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝えるために、神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、愛する子テモテへ」(Ⅱテモテ1:1,2)とあり、パウロという人が書いたということになります。神の霊を通して人に与えられた啓示があって、それが、聖書が書かれる動機となって、聖書という書物は書かれたのです。

テモテは、ギリシア人の父とユダヤ人クリスチャンの母から生まれ(使徒16:3、Ⅱテモテ1:5)、家族やパウロをはじめとしたキリストの証人たちから教えられて、テモテは、確信を与えられて、信仰を受け継ぐものになりました。

聖書は、書かれるときに、神の霊の導きがあってこそ神の言葉であるように、読まれるときにも、神の霊の導きがなければ、神の言葉として受け止められることはありません。

さらに聖書は、イエス・キリストに対する信仰が与えられたものたちにとっては、神の愛の業を行う御子キリストの似姿にまで、日々新たに作り替えられていくための道具となるのです。神さまの意思を教え、罪を犯している者を導き、悔い改めた人々を立ち上がらせて、神さまが喜ばれる生活態度を教えます。

聖書は、神の言葉です。神の霊の息吹が今日も与えられて、わたしたちは、ここから、慰めと希望をいただきます。

《祈り》

聖書を通してわたしたちに語ってくださる神さま。今、わたしたちの手元に聖書が与えられている大きな恵みを感謝します。どうか、聖書が開かれるとき、あなたの心を教えて、あなたの造られた世界に対するご計画を示してください。御子イエス・キリストが神さまの愛の業を行う器として用いられたように、わたしたちを日々新たに造り変えて、あなたの愛の業に仕える器としてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2023/4/30  橋本いずみ)