《 罪人が釈放される 》
ヨハネによる福音書 18:33〜38
ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て行った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」すると、彼らは「その男ではない。バラバを」を大声で言い返した。バラバは、強盗であった。(ヨハネ 18:38~40)
ユダヤ人たちの訴えにより、ピラトのもとで裁きを受けることになったイエスさまでしたが、ピラトは、イエスさまに何の罪も見出せませんでした。
そこで、ピラトは「過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」と言って、イエスさまを釈放するように仕向けますが、ユダヤ人たちは、「その男ではない。バラバを」と答えました。
イエス・キリストの代わりに、名があげられたのは、バラバという人物でした。マタイによる福音書によると、バラバもイエスという名を持っていたようです(マタイによる福音書27:16-17)。
イエスという名前には、イエシュア(「ヤハウェは救い」という意味)のギリシア語読みで、当時のユダヤでは、一般的な名前でした。
バラバは、「父の子」という意味です。バラバは、強盗でした。ヨハネによる福音書では、良い羊飼いと対比されるものとして、強盗が出て来ています(10:1、8)。他の福音書ですが、イエスさまは神殿においでになり、強盗の巣にした(マタイ21:13、ルカ19:46、エレミヤ7:11)と言っています。
バラバは、ただの強盗ではなく、ローマの支配からの武力による解放を目指していた人だったと考えられます。ローマの支配からの解放を求める者たちは、多く、その中で武力を行使し、解放を目指したのがバラバだったのです。ローマの支配からの解放という大
義を掲げて、武器を手に持って、生活の資を奪い、人の命を取ることさえ容赦しないバラバを解放するようにと、叫びました。
イエスさまを訴えていたひとたちは、イエスさまのなさることよりも、強盗バラバがすることの方が、自分たちの理想と期待しているメシアに近いと思って、バラバに味方したのです。
バラバは、イエスさまのおかげで、釈放されることになります。まことの神、父の子であるイエスは、罪人を父の子にするために十字架にかかってくださる王さまです。
まことの神なる主の救いは、バラバの方法ではなく、ユダヤ人の王と呼ばれ十字架にかかってくださったイエス・キリストによって実現しました。イエスさまは、十字架にかかることによって、死を滅ぼし、闇の支配の中で、死に向かって生きる者たちに、永遠の命に至る道を開いてくださいました。主は良い羊飼いとして、わたしたちを導いてくださいます。
《祈り》
天の父なる神さま。主イエス・キリストによって、天の父の子としてわたしたちを受け入れてくださっていることを感謝します。自分の理想を実現するために、多くの人を傷つけて来ました。主よ、わたしたちを憐れみ赦してください。真琴の羊飼いであられる主が、わたしたちを守り治めてくださいますように。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2023/6/11 橋本いずみ)