2023年8月20日 主日礼拝説教

《 分け合った衣服 

ヨハネによる福音書19:23~24

兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは「彼らはわたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。

(ヨハネ19:23-24)

イエスさまが、十字架にかけられた時、その衣服が、分けられたということを通して、「彼らはわたしの衣服のことでくじを引いた」(詩編22:19)という聖書の言葉が実現した、とヨハネによる福音書は告げています。

詩編22編は、「わたしの神よ、わたしの神、なぜお見捨てになるのか」という言葉から始まり、マタイによる福音書やマルコによる福音書では、イエスさまが十字架の上で叫ばれた言葉として残されています(マタイ27:46、マルコ15:34)。それだけでなく、8-9節は「神に頼っているが、神の御心なら、今すぐ救ってもらえ」(マタイ27:43)、15節のように主の脇腹から血と水が流れ出(ヨハネ19:34)、16節は「渇く」と叫び(ヨハネ19:28)、18節のように十字架に上げられた主はさらしものにされ、イエスさまの十字架の出来事と関連するところが多くあります。

詩編22編は、自分を神から見捨てられ、人々からも見捨てられた者、虫けら、民の恥と言い、打ちひしがれて神に嘆き、それでも、神への信頼を言い表します。そして、不思議なことに、23節で、突然、転機が訪れたかのように、神への感謝と賛美するようになるのです。

イエスさまは、人々の前に、王として紫の服を着て(19:5)出てきました。そして、この服は、取り去られ、四つに分けられるのです。

四つに分けられた主イエス・キリストの衣服は、東西南北四つの地域に等しく広がる主の教会を、そして、くじ引きにされた一枚織りの下着は、愛の絆によって、あらゆる部分が一つに結び合わせられること、しかも、それは、くじ引き(人の功績によってではなく、神の隠された決定)によってなされることを意味するとアウグスティヌスは言いました。

教会は、炎のような舌が分かれて(使徒言行録2:3)誕生し、皆が持ち物を分け合って(2:45)いました。

教会は、主がすべてのキリスト者の王であり、主が全被造物の王であることを現すために、聖霊の導きによって、東西南北、地の果てに至るまで、広がりました。しかし、この広がりゆくキリスト者の群れは、キリストの体として、愛によって結び合わされていくのです。

主の十字架の勝利に連なり、勝利を得るものには、白い衣服が着せられます(黙示録3:5)。神に見捨てられ、人々に見捨てられ、虫けら、民の恥のような、わたしたちを、神は隠された決定によって、命の書に記してくださっています。

《祈り》 十字架の主イエス・キリストの父なる神さま。神さまの隠された決定によって、十字架の勝利に連なるものとされ、罪の世にも、悪の力にも、勝利を与えられていることを信じて感謝します。主を畏れつつ、あなたの御名を語り伝えて、賛美します。すべての人が主を認め御もとに立ち帰り、すべてのものが、あなたの御前にひれ伏しますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2023年8月20日 橋本いずみ)