2023年8月27日 主日礼拝説教

《 あなたが神の子となるために 

ガラテヤの信徒への手紙3:26~29

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがた皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。                                    (ガラテヤ3:26-29)

神さまは、キリストの十字架と復活において造られたすべてのための救いの出来事を実現されました。そして、わたしたちは、この神の救いの出来事が恵みによってなされたことを受け入れ、洗礼を受けました。洗礼を受けた者たちは、キリストと一つとされて、神の子と呼ばれるようになります。父なる神さまは、御子イエス・キリストがこの地上を歩まれる時に、救いが実現するようにと導かれたのと同じように、キリストによって神の子とされた者たちを導き、一人一人に救いが実現されるように用いられます。

御子イエス・キリストによって、わたしたちのための救いはすでに実現されました。これが、一人一人に受け取られることを神は待っておられます。そして、神の救いを受け取った者たちは、その後も、神の恵みに信頼し、賜物を受け取って生きるようになります。

今日読んだ聖書の箇所は、「キリスト・イエスに結ばれて」「キリストに結ばれて」「キリストを着ている」「キリスト・イエスにおいて一つ」「キリストのもの」と語り、徹底的に、わたしたちの存在とキリストを結びつけ、キリストにわたしたちの眼差しを向けさせます。

キリストに結ばれているということは、二人三脚のように足が一つの紐で結び合わされているというようなものではなく、キリストの中にすっぽりと包み込まれていることです。それを「キリストを着ている」と頭から足の先まですっかり覆い尽くすように、キリストがわたしたちを覆っています。キリストの存在の中に、わたしたちは守られて、どんな困難も、痛みもキリストが身代わりになって受けてくださいます。着ぐるみの中にいる人がどんな人か分かりません。同じ着ぐるみでも、違う人が入っているかもしれません。しかし、あるキャラクターに出会うためにやってきた人にとっては、中身が誰であるかは問題ではなく、外見と振る舞いがそのキャラクターと一致しているということが、重要なのです。神の子とされて、キリストを着るものたちは、救いを成し遂げてくださったキリストが、何を語り、どのような振る舞いをしているか、真似をしながら歩みます。

ガラテヤの信徒への手紙を読むとユダヤ人とギリシア人、奴隷と自由な身分の者、男と女、民族的、社会的、性的に対立する三組の立場が挙げられています。わたしたちは、多種、多様で、それぞれの間に違いを持っています。神の子とされるということは、それぞれの間の障壁、敵意、優越感や劣等感を打ち砕き、皆がキリストを着ているということで一致していることを喜びます。すべての者を覆っているキリストの栄光が示されることを喜びます。

《祈り》 天の父なる神さま、聖なる御名をたたえて賛美します。キリストを着させていただいたのに、相応しくない振る舞いがありました。キリストの十字架の姿を仰ぎ見ます。どうか、神の子としてのわたしたちを導き続けてください。あなたが約束してくださった祝福を受け取り、あなたの賜物を受け取って歩みます。主の御名によって祈ります。アーメン。                            (2023年8月27日 橋本いずみ)