2023年9月24日 主日礼拝説教

《 神が認めてくださる 》

ローマの信徒への手紙3:21~26

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、ご自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。                          (ローマ3:21-26)

今、みなさんは、神さまとどのような関係にあるでしょうか?神さまは、すべての人とよい関係を築くために驚くべきことをなさいました。

人の平等について、聖書は否定的な面と肯定的な二つの面から、すべての人は平等であるということを告げています。

否定的平等とはどういうことかというと、すべての人が罪人であるということです。「正しい者はいない。一人もいない。」(ローマ3:9-10)人種、文化、経験、貧富の差、年齢、男女などに関係なく、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」ということです。神の民として選ばれたユダヤ人も、倫理的には非の打ち所がない異邦人であっても、神さまの好意にふさわしいものは、誰もいないということです。

神さまは、造られた世を愛し祝福されました。しかし、人は、神の愛や祝福に留まるのではなく、蛇の「神のようになれる」(創世記3章)と自己偶像化の誘惑に身を委ねるのです。偶像礼拝は、神の代わりに自分を受け入れてくれるものを自分で作ることです。そして、偶像礼拝は、「行いによる義」何かをすることによって自分の価値を築き、自分で作った神のようなものに受け入れられようとすることに行き着くのです。神との関係を求めず、自己完結している者たちは、たとえ神さまが好意を持っていたとしても、受け取ることができませんし、聖書は神と

の生きた関係に身を置こうとしない人は、皆、罪を犯して、神の栄光を受けられなくなっていると言っているのです。

もう一つの面肯定的平等は、キリスト・イエスの贖いの業を通して、すべての者が神の恵みによって義とされるということです。

神さまは、罪人と関係を再構築しようと、驚くべきことをなさいました。キリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供物としたのです。そして、これまでの罪を見逃すというのです。

神は、すべての者たちに恵みを用意してくださいました。それを受け入れることを、パウロは「イエス・キリストを信じること」と言っています。イエス・キリストの信仰によって生きるというのは、キリストが、わたしのために、今、ここににいてくださるという現実に応答して、キリストに依り頼んで生きるということです。

キリスト・イエスを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義は、すべての者たちに開かれています。

この二つの平等を考えるとき、神との関係でわたしたちに与えられている道は、二つしかありません。恵みによって神に正しい者とされ神との良い関係に生きるか、それとも、正しいものとされないで、罪人のまま生きるか。

キリストは、あなたと共にいてくださいます。ここにいる自分は、受け入れたくない自分かもしれません。しかし、キリストが、罪人であるわたしの救いのために、今、ここにいてくださいます。神は、キリストにあって、わたしたちと良い関係を築こうとされています。

《祈り》聖なる父なる神さま。 罪を犯したわたしたちとの関係を再構築するために、主イエス・キリストを与えてくださいました。キリストがいつもわたしたちのためにとりなしてくださっていることを感謝します。どうか、神さまとのより良い関係を築いていくことができるように導いてください。 主の御名によって祈ります。アーメン。(2023年9月24日 橋本いずみ)