2024年2月4日 主日礼拝説教

《 イエス・キリストの息吹》

ヨハネによる福音書 20:19~23

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹をお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

(ヨハネ20:19-23)

主イエス・キリストは復活し、弟子たちの恐れも、物質的な妨げも、通り抜けて、弟子たちに現れてくださいました。復活の主は、この世の何にも妨げられることなく、弟子たちの主として、友として、兄弟として、現れました。

復活の主が現れてくださったことによって、主イエス・キリストと弟子たちとの平和の関係は、回復されました。弟子たちは、イエスさまを主として従うことができ、イエスさまを知る友として同じ目的に向かって歩むことができ、父なる神の子として生きるようになりました。

復活の主は、息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と言われます。十字架にかかる前に主が約束された通り、弟子たちの悲しみは、復活の主に出会い喜びへと変えられ、聖霊を与えられます(16章)。

復活の主は、弟子たちに、赦しの権能をお与えになりました。この弟子たちは、人々を恐れ、悲しんでいる弟子たちではなく、復活の主と間に平和を与えられており、喜んでいる弟子たちです。この彼らに、主は、主の霊を与え、罪の赦しの権能を授けられるのです。

罪とは、主イエス・キリストを信じないこと(16:8)。イエスさまの後に従ってきた弟子たちも、罪を犯していました。主を信じておらず、恐れに支配され、閉ざされたところにいましたが、そこに復活の主が現れてくださって、彼らは、主との間に平和を与えられたのです。

神の御子イエス・キリストは、世の罪を取り除く神の小羊(1:29)として、十字架にかかってくださいました。主は、罪の赦しを与え、救いを与えるために、父なる神によって世に遣わされました。

イエスさまは、赦しなさいと教えておられます(ルカ6:37)。赦すとは、裁かないということ、罪人だと決めないこと、与えることです。イエスさまが、裁くためではなく、救いを与えるためにこの世に来られたように、復活の主は、弟子たちを赦しと救いのためにお遣わしになります。

復活の主は、赦しの権能を弟子たちに与えられます。キリストによって父なる神さまとの一致を与えられたものは、イエスさまが「平和があるように」と現れてくださったように、恐れと悲しみの中に閉じこまっている人々のところに赦しと救いを告げ知らせるために遣わされます。

もし、私たちのうちの誰かが、恐れと悲しみの中に閉じ困っているならば、復活の主が現れてくださるのを共に待ちましょう。

もし、復活の主が現れてくださって、主との間に平和を得て、喜びんでいるなら、聖霊を与えられて、主が与えられる罪の赦しの権能を豊かに用いましょう。

主は、打ち砕かれた心を包み、捕らわれている人に自由を、繋がれている人に解放を与えようとしておられます。(イザヤ61:1-11)

《祈り》復活の主イエス・キリストの父なる神さま。今日、復活の主が現れてくださって、罪の赦しを与え、恐れを信仰に、悲しみを喜びに、変えてくださいました。復活の主の息吹を心から感謝します。どうか、聖霊の導きの中を歩ませてください。この週も、十字架と復活の主を私たちの主とし、主の友として、父なるあなたの子として歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。  (2024年2月4日 聖餐式 橋本いずみ)