2024年3月10日 主日礼拝説教

《 祈りー共に喜び、共に泣く 》

ローマの信徒への手紙12:9~21

愛には、偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れたものと思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たすまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者ために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、昂らず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。     (ローマ12:9-16)

主イエス・キリストに結ばれたものたちの生活のなか(ローマ12章以下)で、「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(12節)と祈ることが命じられています。

主の献身に応えて、主に献身して生きることが礼拝です(ローマ12:1-2)。そして、キリストによる恵みの賜物から与えられるキリスト者の可能性を述べています。

キリストに結ばれた者たちは、それぞれ異なった賜物を与えられて、いろんな働きをして生きます。しかし、そのどの働きも、主キリストの献身に根ざすことで、神を礼拝するためのものです。

「愛は、偽りがない」とキリストに結ばれて他者と共に生きるために愛が取り上げられます。偽りのない愛のあり方として、すでにキリストに結ばれた者たち教会共同体での愛の実践と(9-16節)とすべての人たちに対する愛の実践が(17-21節)挙げられます。

私たちは、主が再び来てくださることを待ち望みながら、愛を実践していくのです。その中に、たゆまず祈ることが命じられています。「喜び、忍耐し、祈ること」は、「喜び、祈り、感謝すること」(1テサ5:16-22)とよく似ています。キリスト者には、希望に支えられた喜びがあり、患難に耐え抜く忍耐の力が与えられ、たゆまざる祈りの泉から汲んで生かされています。

教会の交わりになくてはならぬもの。それが、「共に喜び、共に泣く」ということです。喜びや、悲しみを自分のこととして受け止めることです。聖なる者たちの窮乏を共有します。しかし、これらのことは、たゆまざる祈り抜きには、なしえないことです。たゆまざる祈りは、わたしたちの傲慢や自惚れ、思い上がりを打ち砕き、謙遜にします。十字架の主イエス・キリストがわたしたちの模範ですから、このお方を見て、なお思い上がって歩むことなどできません。霊によって燃やされ、主に仕える者とされるのです。

これらキリストにある兄弟姉への愛の実践とともに、すべての人たちへの愛の実践が命じられています。できることなら、あなたがたに起因することでは、平和を保ちなさい。やられたらやり返すというのは、罪の中に生まれたわたしたちの本能ですが、主の言葉に促され、その本能から自由にされて、義なる神の怒りにお委ねします。

地上の教会は、ここに記されている愛の実践とは、かけ離れたことをしてしまった歴史がありますし、今も、なお十分ではない共同体であり、わたしたち自身です。しかし、わたしたちは、ここに向かって変えられることを望み、聖霊なる主によって変えられていく過程の中に置かれています。

《祈り》

天の父なる神さま。あなたは、主イエス・キリストの献身によってわたしたちを救い、主に結ばれた者たちの交わりに入れてくださいました。キリスト者たちの愛の実践の交わりの中で、神の子として育ててくださることを信じます。聖霊によって燃え立たせ、主に仕え、たゆまず祈るものとならせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2024年3月10日 受難節第四主日 橋本いずみ)