《 まことの幕屋 》
出エジプト記 25:40
ヘブライ人への手紙 8:1~6
あなたはこの山で示された作り方に従い、注意して作りなさい。(出エジプト記 25:40)
今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。…この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。(ヘブライ 8:1-2、5-6)
主イエス・キリストは、全能の父なる神の右に座して今日も、わたしたちのために大祭司として仕えてくださっています。
西宮一麦教会の礼拝では、毎週、使徒信条をもって、わたしたちの信仰を告白しています。使徒信条の中に「主は、…天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり」という言葉があります。十字架にかかって、死に、よみがえられた主は、今日も、まさにに、今この時、わたしたちのために天にあって、神と人との新しい契約の仲介者として、大祭司の務めをなしてくださっています。
旧い契約において、神さまは、モーセに幕屋を建てるようにお命じになりました(出エジプト記25章)。そして、「わたしのために、聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは、彼らの中に住むであろう」(25:8)と神さまは約束してくださいました。幕屋は、「神の住む所」「会見の幕屋」「あかしの幕屋」と言われます。神さまが、共にいてくださる所、神さまとお会いする所、主の言葉が置かれる所を、モーセは作るように命じられました。このモーセが神さまに命じられて作った幕屋は、天の幕屋の写し、影のようであったとヘブライ人への手紙は言っています。
写しというのは、本当のものではなく、影は、実体ではありません。モーセが作った幕屋というのは、真の幕屋を写し出したものであったというのです。大祭司イエス・キリストは、影のものではなく、神さまがお建てになった実物の真の幕屋で仕えておられます。
大祭司イエス・キリストが契約の仲介者となってくださって、新しい契約(神の約束)は成立しています。神さまがともにいてくださるという約束は、イエスさまの仲介によってのみ可能となることです。旧い契約では、いつも人間の罪が障害となって、その約束は挫折しています。しかし、新しい契約は、人間の罪によって挫折することはありません。なぜなら、大祭司イエス・キリストが、完全ないけにえとなってくださって、仲介してくださるからです。主イエス・キリストが、仲介してくださるから、神にも人にも喜ばれないのではないかという恐れから、自由になって、神の前に進み出ることができます。損なわれて、不完全な人間性をもって、神の前に進み出るのではありません。主イエス・キリストによって癒やされ、回復させられた聖なる者として、わたしたちは、神の前に進み出ます。
【祈り】 父・子・聖霊なる神さま。あなたは、ご自分に似せて人をお造りになりました。天のまことの幕屋において、主が今日も執り成していてくださることを感謝します。神さまとは、似ても似つかないほどに罪深いわたしたちですけれども、罪人の頭のようなわたしと十字架と復活の主が共にいてくださって、罪を覆い、汚れを清め、傷を癒やし、聖なる者としてくださることを信じます。この何にも変えがたい平安と喜びにすべての人を招いてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2024年10月20日 橋本いずみ)