《 古い制度と新しい祭司 》
詩編 110:4
ヘブライ人への手紙 7:11~19
主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司、メルキゼデク(わたしの正しい王)」 (詩編110:4)
ところで、もし、レビ系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、―というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから―いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。…この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。なぜなら、「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。―律法が何一つ完全なものにしなかったからです―しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。 (ヘブライ7:11-12,16-19)
主イエス・キリストは、メルキゼデクのような大祭司であると、ヘブライ人への手紙は、語っています。キリスト教会では、旧約と新約を合わせて聖書として重んじています。旧約というのは、旧い約束(契約)、新約というのは、新しい約束(契約)という意味で、聖書は、神さまとの約束の書物です。神さまは、私たちと約束(契約)を結んでくださいます。それは、祝福の約束です。神さまが何を約束してくださっているのか、わたしたちは、聖書を通して聞いているわけです。
さて、今日与えられた聖書の箇所にも、旧い約束と新しい約束の対比が出てきました。旧い約束では、神さまはアロンとその家系に属するレビ人を祭司としてお立てになっていました。しかし、この祭司制度において、祭司として立てられたレビ人たちは、旧い約束である律法を果たすことはできませんでした。神さまの約束は、旧い約束によるレビの系統の祭司制度では、実現されなかったのです(ルカ1:45)。
そこで、新しい契約において、神さまはメルキゼデクのような祭司(主イエス・キリスト)をお立てになったのです。7:1−3に、イエス・キリストが四つの意味 ①アブラハムを祝福し十分の一を受け取ったこと、②名前の意味、③系譜がないこと④永遠性において、メルキゼデクのような祭司であるということ、語られていました。イエス・キリストは、レビ人ではなく、ユダの子孫としてお生まれになりました(マタイ1:2、ルカ4:33)。イエスさまは、レビの家系に生まれたわけではなかったのです。それにもかかわらず、祭司だと言えるのは、律法が定められる以前にメルキゼデクという祭司がいて、その系統に属する祭司だからです。律法は、物質的な、肉に関わる命令で、レビの系統の祭司は、肉に関わる家系によって、祭司になっていました。しかし、メルキゼデクの系統である主イエス・キリストは、朽ちることのない、永遠の命の力によって、新しい祭司となられました。イエスさまを祭司としているのは、朽ちることのない永遠の命の力です。そして、イエス・キリストを新しい祭司として立てた永遠の命の力によって、神さまは、わたしたちを生かし、立て、導いてくださっているのです。新しい大祭司イエス・キリストがいてくだることが、わたしたちの希望です。大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
【祈り】 天の父なる神さま。十字架と復活の主が、新しい大祭司となって、くださったことに感謝をいたします。物質的なこと、肉に関わることで、右往左往する私たちですけれども、今日も主によって朽ちることのない永遠の命の力が注がれていることを信じます。主よ、希望をもって、恵みの座に近づいて、あなたとの親しい交わりを生きることができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2024年10月6日 橋本いずみ)