2024年6月2日 主日礼拝説教

《 大いなる救い 》

出エジプト記 19:10〜13

ヘブライ人への手紙 2:1~4

だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違反や不従順が当然な罰を受けたとするならば、ましてわたしたちはこれほど大きな救いに対してどうして罰を逃れることができましょう。この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。

(ヘブライ2:1-4)

聞いたこと-神が語り聞かせたこと、すなわち、キリストの使信にいっそう注意を払わなければなりません。なぜなら、人間の罪の激流の中で、人生には、労苦と災いがつきもので、うかうかしていると、押し流されてしまうからです。

天使と比較しながら、御子イエス・キリストが偉大な救いを成し遂げられたことを告げてきました(ヘブライ1章)。かつて神さまは、数々の不思議な業によって、エジプトから救い出し、神の言葉を与えて(出エジプト19-20章)特別な関係をもって生きるようにと導かれました。それにも関わらず、神の民は、背きと不従順を繰り返し、罰をお与えになりました(民数記14:22-23、30-38)。時に罰をお与えることによって、神は背きと不従順な神の民を清めて導いてこられたのです。

かつて奴隷の家から救い出され、約束の地へと導かれる時に、このように神がなされたというのであれば、神の御子イエス・キリストによる偉大な業によって救われたものたちに対してはどうでしょうか。約束の地のようなこの世の所有物ではなく、もっと大きなもの(御子と一緒に、御国を受け継ぐこと)を神は約束されているのです。約束されたものが大きければ、大きいほどに、その責任も大きくなります。かつて神は、律法を与えて、約束の地を与えると約束しました。そして、この時代に神は、イエス・キリストによって福音を語り、御国を約束されるのです。ですから、聞いたことに無頓着でいてはなりません。

わたしたちが聞いたこと、言い換えるならば、神が語り聞かせたこと、偉大な救いには、三つの証言があります。第一に、主イエス・キリストによる証言です。次に、それを聞いた人たち(使徒や弟子たち)による証言です。そして、神ご自身による証言です。

救いは、第一に、御子の言葉と業によって示されました。そして、それを見聞きした使徒や弟子たちによって、証しされてきました。そして、神ご自身が、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししています。

神、ご自身が救いを証しされるというのです。神は、さまざまな奇跡と劇的なしるしによって救いを証されます(ローマ15.19、Ⅱコリ12.12)。そして、それだけでなく、キリスト者の共同体に聖霊の賜物を分け与えることによって、証ししています。聖霊の賜物によって生み出される生き方があります。キリスト者たちの群れの中に、聖霊の賜物によって、和解が与えられています。赦しが経験されています。預言し、奉仕し、教え、勧め、施し、指導し、慈善を行うものがいます(ローマ12:6-9)。苦しみと痛みの中にあっても喜びと希望をもって生きているものがいます。

これらの証言に裏打ちされている救いです。わたしたちは、この聞かされた救いにいっそう注意を払わねばなりません。

《祈り》

偉大な救いを成し遂げてくださった主イエス・キリストの父なる神さま。聖霊の賜物をもって救いを確かなものとしてくださることに感謝します。主が語られた言葉と、それを聞いて証言するものたちの言葉、さらに、主ご自身がなされる不思議なしるしや業に加えて、キリスト者たちに与えてくださる霊の賜物によって福音に生きているものたちの言葉と姿から、救いの確信を得させてください。約束されたものを目指して歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。 

(2024年6月2日 聖餐式  橋本いずみ)