《 神の前での総決算》
詩編33:1~22
ヘブライ人への手紙4:12~13
主の御言葉は正しく、御業はすべて真実。主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている。御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。主は大海の水をせき止め、深淵の水を倉に納められた。(詩編33)
というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。
(ヘブライ4:12-13)
先週の日曜日から一泊二日で夏期学校が行われました。テーマは「タラントン」(またい25:14ー30)でした。タラントンのたとえで、主人が帰って来た時に、僕たちと清算を始めたと言われています。今日の聖書の箇所でも、清算をし(申し述べ)なければならないと言われています。主なる神さまの前で、体をすみかとしていたときに行ったこと、自分のことを申し述べることになるのです(ローマ14.12、Ⅱコリント5:10)。タラントンのたとえでは、清算の際、どんな商売をしたのか、何をしてそんなに儲けることができたのかについては、記されていませんが、今日の聖書の箇所を見ると、申し述べねばなりませんと言いますので、それは、場合によっては細かく関心を持って聞かれることでしょう。
終わりのときに、わたしたちが申し述べること(言葉)をお聞きになる神さまは、どういうお方なのでしょうか。
神さまの言葉は、人間の言葉のように無力ではありません。神の言葉は、命と力に満ちていることを、神さまは、神の民は知りました。力ある神の言葉は、剣のようであるというのです(イザヤ49.2、エレミヤ23.29)。しかもどんな両刃の剣よりも鋭いものである。分けることの難しいものを切り分けて、見分けられるのです。
わたしたちのうちに隠され、秘密に満ちて絡み合っているそのところも、切り分けられて、見分けられるというのです。神さまの御言葉は、わたしたちの心の思いや考えを分けられます。この神さまの前には、わたしたちの内側の秘密はありえない。私たちが、人前では隠しているような心の思いも、自分でも気づかないような心の奥深くに潜んでいる考えも、神さまの目には隠されておらず、わたしたちにとって致命的なところも神さまは知っておられるのです。
わたしたちの奥深くに潜んでいて、自分では切り分けることなどできないものを神さまは知っておられ、その言葉をもって明らかにしていかれます。そして、終わりのときは、神さまが言葉を持って明らかにして来たように、わたしたちも神さまの前で申し開き、言葉を述べるのです。
神さまは、ごく平凡な日を神が決定的に触れられる「今日」という日になさり、神の栄光が示される舞台になさいます。神の言葉によって、わたしたちのうちに潜んでいて、絡み合っている罪を切り出し、聖なる者へと新しく造り変え、神の御業のパートナーとなさり、霊の剣、すなわち神の言葉を授けてくださいます。神の前での総決算の時に、備えてわたしたちは生きます。
【祈り】天の父なる神さま。あなたは御言葉をもって、わたしたちに語りかけ、わたしたちのうちに見分けられます。わたしたちのどんなに奥深くに隠している思いや考えも、あなたの目には明らかです。主よ、わたしたちのうちに清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。主の御前に立つ日を目指して、あなたの喜ばれることを知り、主の御心を行い、主の栄光をほめたたえることができるように導いてください。主の御名によって祈ります。アーメン。 (2024年8月18日 橋本いずみ)