2024年9月29日 主日礼拝説教

《 メルキゼデクとアブラハム 》

創世記 14:17~20

ヘブライ人への手紙 7:1~10

いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神に、アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された いと高き神がたたえられますように。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。                 (創世記14:18-20)

このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また障害のはじめもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。

                                         (ヘブライ7:1-3)

御子イエス・キリストが大祭司としての召しを受け、それに献身するはるか以前に、神さまは、謎めいた形でメルキゼデクという祭司をお立てになっていました。

神さまの救いの計画は、天地創造の時から始まっていたが、アブラハムの時代にもその救いの計画は進んでいました。アブラハムに祝福を与えたメルキゼデクは、大祭司イエス・キリストを指し示すものだったのです。

7章から10章まで、キリストが大祭司であるということを証ししていきます。イエス・キリストが大祭司であるということは、4:14〜5:10ですでに語られ、容易に説明することはできない(5:11)と言われていましたが、ここからは、さらに踏み込んで語られていきます。

今日、読んだヘブライ人への手紙の箇所で、メルキゼデクの四つの特徴が挙げられます。①アブラハムを祝福し、十分の一を受け取ったこと:メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来て、いと高き神の名によってアブラハムに祝福を与え、アブラハムはすべてのものの十分の一をメルキゼデクに送りました。②名前の意味:メルキゼデクは、いと高き神の祭司であり、その名は、義の王、平

和の王という意味です。③系譜がないこと:レビの系図に属さない祭司であり、④永遠性:旧約聖書には、メルキゼデクの生と死について述べられておらず、永遠から来て、永遠へと行ったのだというのです。これらの、メルキゼデクの特徴は、大祭司イエス・キリストの姿を予め、示すものであったとヘブライ人への手紙は、述べているのです。

 4節以下、メルキゼデクがアブラハムよりも、レビの系図に属する祭司よりも偉大なことが語られていきます。神は、神の民に、十分の一は主のものである(レビ27:30)と告げ、レビ人は、イスラエルでささげられるすべての十分の一を受け取ることが、律法で定められていました(民数記18:21)。このことが律法で定められる以前に、レビ族の血統以外のメルキゼデクは、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者(アブラハム)を祝福したのです。メルキゼデクがアブラハムを祝福したことは、メルキゼデクの方が偉大だということを示しており、アブラハムが十分の一を贈ったということは、まだ生まれていなかったレビも、アブラハムを通して、メルキゼデクに十分の一を贈ったことになる。それゆえ、アブラハムよりも、レビ人よりも、メルキゼデクは偉大なものであって、イエス・キリストは、メルキゼデクに似た大祭司なのだと言います。

【祈り】 天の父なる神さま。あなたが歴史の中で救いのために働き続けてくださっていることを信じ感謝いたします。主イエス・キリストがまことの大祭司として、義の王、平和の王として、私たちとこの世界を治めてください。わたしたちも、わたしたちが持っているものも、すべては主が与えてくださったものです。十分の一をあなたのものとして聖別し、献げます。キリストの祝福を私たちに与えてください。主の御名によって祈ります。アーメン。         (2024年9月29日 橋本いずみ)