《 信仰とは 》
創世記 1:1~5
ヘブライ人への手紙 11:1~3
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。(ヘブライ11:1-3)
私たちは、信仰によって命―自分自身を獲得していきます。信仰は、私たちの命、わたしがわたしであるということを根底から支えているものです。信仰が支えとなって、わたしがわたしとして生きることができる、自信をもって生きることができるようになっていきます。
信じるという時に、神さまを信じるか、それとも、自分を信じるか。わたしもこのように感じていたことがありましたが、神か人、自分かで、対立することではない。むしろ、信仰を与えられて生きる時に、自信をもってこの世界で生きることができるようになるのではないかと思うのです。
今日読んだ聖書の箇所では、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」と言っています。ここで言われている信仰は、わたしたちに与えられた信仰であり、御子イエス・キリストを与えてくださった神への信仰です。わたしたちが待ち望んでいる数々の事柄は、キリストが来られるときにもたらされることです。神さまが約束してくださっている将来の事柄は、信仰によって、今、キリストが来てくださる現実として生きることができる。私たちの目に映る現実は、キリストにあって神と共に生きようとするものたちの生活を妨げ、わたしがわたしであることを脅かすもので、涙があり、苦しみがあり、嘆きがあります。しかし、見えない事実がある。それは、信仰によってしか見えないのですが、確かにキリストがそのところに来てくださり、キリストこそがわたしの主、私たちの主、世界の主であるということです。
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばん大切なことは、目には見えない」(サン=テグジュペリ「星の王子さま」より)。信仰は、見えない事実―イエスさまが救い主なんだということ、このわたしのところに来てくださることを確認することです。信仰によってしか見えない事実、将来のことだけではなくて、この世界の創造についても同じこと。目には見えないけれども確かに存在するものがあって、目に見えるものは、目に見えないものによって存在している。目には見えないけれども確かに存在しておられる神さまが、世界を造り、すべてのものを保っておられます。キリストが、この世界と私たちを存在させてくださっています。わたしという存在は、キリストによって存在させられているわたしに他なりません。信仰は、キリストによって存在しているわたしとして自信をもってこの世を生きる力の源です。
【祈り】
天の父なる神さま。あなたは、目には見えませんけど、確かにこの世界はあなたによって造られ、保たれていることを御言葉を通して示され感謝します。どうか、あなたがわたしたちに約束してくださっている事柄をいつも思い出させてくださり、キリストがわたしの主であり、わたしたちの主であり、世界の主であることを、遣わされるところでも確かめていくことができるようにしてください。キリストの現実を仰ぎ見つつ、自信をもって歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。 (2025年2月16日 橋本いずみ)