《 信仰によって命を保つ 》
ハバクク書 2:2〜4
ヘブライ人への手紙 10:26~39
だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。わたしの正しい者は、信仰によって生きる。もしひるむことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」しかし、わたしたちはひるんで滅びるものではなく、信仰によって命を確保するものです。 (ヘブライ人への手紙10:35-39)
生きることに疲れている人がいるかもしれません。この人生の旅路を走り続けることに困難さを抱えている人がいるかもしれません。今日の箇所では、「光に照らされた後、大きな戦いによく耐えた初めのころのことを思い出してください」と言っていますから、神さまとの関係を与えられたのに、疲れたと感じている人たちがいたのかもしれません。「ひるんではならない。あと少しの時を辛抱して、懸命に走り続けよ。」と励まします。それは、頑張っている人をさらに苦しめるように叱咤激励するのではありません。
自分の確信を捨ててはいけない。そもそも私たちはどんな道を歩き始めたのだったでしょうか。私たちが、歩き、あるいは、走っている道は、イエスさまが切り開いてくださった道であり、イエスさまが共に歩んでくださっている道です。自分の確信―この道を歩き出した目的を捨ててしまってはいけない。私たちが歩いている道は、イエスさまがわたしの上を歩いて行きなさいと言ってくださった道です。わたしたちが、踏み出していく、一歩一歩の足取りは、イエスさまの上に置かれます。どんなに、力無く、足をついたとしても、躓き、立ち止まっても、その足元には、いつもイエスさまがいて、イエスさまの上を歩かせていただいているのです。
「神に従う人は信仰によって生きる」(ハバクク2:4)は、新約聖書で3箇所(ローマ1:18、ガラテヤ3:11)引用されます。「正しい者は信仰によって生きる」ということは、どこかで聞いたことがある方もいるかもしれません。今日読んだ箇所では、ただ正しい者というのではなくて、「わたしの」正しい者と言われています。わたし(神さま)が正しいとする人、もう少し言葉を足して言うのであれば、大祭司イエス・キリストによってわたし(神さま)とのよい関係に導かれた人ということです。そして、そのような正しい者は、他の誰のものでもない、わたしのものなのだと神さまはおっしゃっているのです。信仰によって神との関係にあるいのちを生きる者は、信仰によって自分自身を保たれると語ります。
わたしたちは、わたしのために命を献げ切ってくださったイエスさまの上を歩かせていただいているものたちです。だから、ひるむことなく、与えられた時の中で、懸命にこの道を歩き、走り続けます。
【祈り】天の父なる神さま。イエスさまが、わたしたちの道となってくださいました。どんなに力無く降ろす一歩だとしても、その足元にイエスさまがいてくださることを感謝します。与えられた時の中で、躓き倒れても、主の道を懸命に走り続けることができるように、導いていてください。生きることに疲れている者たちに、力を与えてください。主が命を尽くして示し、与えてくださった確信をもって懸命に走り続けることができるように励ましていてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2025年2月9日 聖餐式 橋本いずみ)