2025年3月30日 主日礼拝説教

《 信仰によって、サラは力を受けた 》

創世記 17:15~19

ヘブライ人への手紙 11:11~12

信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のようにまた海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。

 (ヘブライ人への手紙 11:12〜13)

神さまが与えてくださる力によって、わたしたちは生きています。わたしたちに与えられる力はどのように引き出されていくのでしょうか?

ヘブライ人への手紙11章には、信仰によって、生きた人たちが登場しています。今日読んだ聖書の箇所には、サラという人が出てきました。サラは、アブラハムの妻です。アブラハムと一緒に旅立ちました(創世記12:4)。「あなたの子孫にこの土地を与える」と神さまは約束しました(12:7)が、その後、サラとの間に子供は与えられませんでした(15:2、16:1)。そこで、サラの申し出によって女奴隷ハガルとの間にアブラハムは、イシュマエルという子を与えられます。しかし、神さまは、アブラハムにサラによって子供を与えると言います。アブラハムは、神さまを礼拝しながらも、それはないだろうと思って呆れ笑います。サラは、歳をとった自分に子供が生まれるはずがないと思い(18:13)と苦笑します。アブラハムも、サラも、自分たちには、その力はないと思っていました。それは、ただ彼らがそのように思っていた、感じていたというだけでなく、現に、彼らにはもう生きる力がありませんでした。サラについては「年齢が盛りをすぎていた(寿命の時期を超えていた)」アブラハムについては「死んだも同様の一人の人(すでに死んでしまっていた人)」と言われています。

彼らに楽しみはなく、人が生きる可能性は、尽きてしまっていたのに、信仰によって力を受け取ったと言っています。

信仰によって力を受け取った。神さまは、与えられた命を生きるために、私たちに力を与えてくださいますが、それは、信仰によって受け取っていくものです。神が与えてくださる力というのは、信仰によって受け取られて、芽を出していく力です。

 約束なさった方は、真実だと信じる信仰によって、神の力は受け取らます。

神さまは、イエスさまを通して、わたしたちにも約束してくださっています。イエスさまが十字架の上で私たちの絶望を引き受け、希望を与え、私たちの呪いを引き受け、祝福を与えて、あなたを祝福し、祝福の源とし、すべての氏族をあなたによって祝福に入らせる、あなたに安息の地を与えると(ヘブライ4章)。

神さまは、アブラハムの子孫、祝福の子たちが生み出されるために、働いてくださっています。わたしたちに約束してくださった神は、真実な方であるとの信仰をもって、神の与えてくださる力、祝福される人たちを生み出していく力を受け取ります。

《祈り》天の父なる神さま。罪と悪の支配の中にしか生きることのできない絶望をイエスさまが十字架によって引き受けてくださり、あなたに祝福されて生きる希望を与えてくださいました。あなたに祝福されて生きるようにと命を与え、与えられた命を生きる力を与えてくださっています。あなたからいただく力を受け取り、祝福の源として生かしてください。わたしたちが共に生きる人たちを、今週で出会う一人一人を祝福してください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2025年3月30日 橋本いずみ)