2023年1月29日 主日礼拝説教

《 弁護者が来る

ヨハネによる福音書 16:1~15

わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたはもはやわたしを見なくなること、また裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。言っておきたいことはまだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来るとあなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、またこれから起こることをあなたがたに告げるからである。

 (ヨハネ16:7-13)

主が、十字架に上げられ、復活させられ、天に上げられ弟子たちのもとを去って、父なる神の右に座すときが近づいてきていました。主は、弟子たちに、迫害されるであろうことを、前もって話したのは、弟子たちがつまずかないためであり、主が、世を去って父のもとに行くことを、初めから話さなかったのは、主が弟子たちと共におられたからです。御子イエス・キリストに、もはや「どこに行くのか」に尋ねる弟子はいませんでした(13:36、14:5)。

弟子たちは、主が去っていくことを聞き悲しみで満たされました。悲しみの大きさは、与えられていた恵みの大きさと比例します。弟子たちは、今悲しみで満たされているということは、主が一緒にいてくださったその大きな恵みを噛み締めていたということです。

主は、ご自分が去った後に送られてくる聖霊(弁護者、真理の霊)がこの世にあって行うことを明らかにしておられます。弁護者は、罪、義、裁きについて世の誤りを明らかにします。弁護者がいなければ、世の誤りに気づきません。罪は、イエス・キリストを信じず神が遣わした方を拒否することです。義とは、父のもと

に行き、主が見えない方になるということ、つまり、主が父なる神のもとに行かれるということは、世の戦いと困難から救い出し、苦難に満ちた奉仕を終わらせられて、勝利されることです。裁きは、世を支配している闇の力、悪が裁かれることです。

真理の霊は、御子イエス・キリストが父なる神から聞いたことを語ったように、聞いたことを語られます。御子イエス・キリストに栄光をお与えになります。弟子たちは、悲しみに満たされ、未来に対して途方に暮れて立っています。神がどのように道を開くのか、彼らには今、分からないのですが、真理の霊と呼ばれる聖霊が、後に、いかにキリストによって神の業が完成するのかを彼らに示すのです。弁護者、真理の霊と呼ばれるお方こそ、弟子たちと主イエスを結びつけ、ぶどうの幹と枝との結びつきを生み出し、主によって彼らが養われ、力を得ていくために働いてくださるお方なのです。父なる神さまの言葉とキリストの言葉が分けられなかったように、キリストの言葉と聖霊の言葉は、分けられないものです。主は、弟子たちが今わからなくても、主が見えなくなった時、困難な状況に置かれるとき、彼らを守りたいと思って、弁護者が来ると語られました。

《祈り》 主イエス・キリストによって弁護者を遣わしてくださる神さま。弟子たちが、悲しみに満たされている時、困難な状況に向かう時、主が弟子たちを守ろうとしてお語りくださったその言葉を聞きました。どうか、わたしたちに弁護者、真理の霊を送ってくださって、あなたが開いてくださる道を知ることができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2023/1/29 橋本いずみ)