《 イエスに従った弟子 》
ヨハネによる福音書 18:15〜18
シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスを一緒に大祭司の屋敷の中に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」ペトロは、「違う」と言った。僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
(ヨハネ18:15−18)
ペトロは「あなたもあの人の弟子の一人ではないか」と聞かれた時、「違う」と答えました。ペトロの決心とは、裏腹にイエスさまがおっしゃっていた通りのことが、起こりました(ヨハネ13:36-38)。
ペトロは、なんとかして、イエスさまについて行きました。イエスさまが捕えられ、大祭司の屋敷にまで従って行ったのは、ペトロともう一人の弟子だけでした。ペトロは、大祭司の屋敷の敷地内には、入ることができず、門の外で立っていました。しかし、もう一人の弟子の口利きによって、ペトロも屋敷へと入って行こうとすると、思いがけず「あなたも、あの人の弟子の一人ではではないか」と問われ「違う」と答えました。こうして、ペトロはイエスさまを「知らない」と言ってしまったのです。他の福音書では、登場しないもう一人の弟子が、そこにいました。ペトロともう一人の弟子は、最後まで一緒に従いました。一緒にイエス・キリスト従っていったにもかかわらず、ペトロだけが、イエスさまを「知らない」と言うことになったのか。それは、大祭司の屋敷の人たちは、もう一人の弟子がイエスの弟子であることをすでに知っていたからです。すでにイエスの弟子であることが知られている人が、そこに一緒にいるのに、ペトロは自分がイエスの弟子であると言
うことを否認します。もう一人の弟子は、ペトロの決心ではなく、主イエス・キリストの言葉が成就していくのをごく身近で見ることになりました。もう一人の弟子は、もし自分がペトロを中庭に入れなかったら、イエスを知らないなどとは言わなかったのではないか、と考えたことでしょう。ペトロがサタンのふるいにかけられることを違った形で、共に体験したもう一人の弟子がいたということをヨハネによる福音書は告げています。もう一人の弟子は、一緒に従って来たペトロが、偽りの言葉をもって、イエスの弟子であることを否定して、かえって、イエスを捕らえようと武器をもってやって来た僕や下役たちと一緒に立って、火にあたっているのを見たのです。
ペトロがイエスさまを「知らない」と言ったことはただ彼一人に関わることではなくて、ペトロとも、イエスさまとも違う視点で、痛みと悲しみをもって、経験したもう一人の弟子がいました。イエスさまに従っていこうとする時、私たちの弱さが暴かれます。主は、主に従う者たちの弱さを担って、十字架にかかってくださいました。
《祈り》
十字架の主イエス・キリストの父なる神さま。あなたは、わたしたちの罪も弱さも、すべてご存じで、「わたしに従いなさい」と招かれました。主に従う時、私たちは自分の弱さに直面します。どうか、その弱さに、あなたの力を注いでくださって、あなたの御言葉の力強さと真実を賛美し、十字架の主の輝きを表す器としてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2023/4/2棕梠の主日 橋本いずみ)