2025年10月12日 主日礼拝説教

《 来るべき都を求めて 》

ヘブライ人への手紙13:7~19

イエス・キリストは、きのうも、今日も、また永遠に変わることのない方です。…それで、イエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来たるべき都を探し求めているのです。だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実をたえず神に献げましょう。善い行いと施しを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。

(ヘブライ13:8、12-16)

イエスさまによって神の子とされたものたちは、来るべき都を求めて、イエスさまを見つめつつ、礼拝と奉仕をしながら、この地上を歩んでいきます。礼拝と奉仕が、神に愛され祝福されている者であることを思い起こさせ、わたしたちを生かし、養ってくれます。

私たちが、礼拝をすることも、奉仕をすることも、神さまの恵みです。礼拝と奉仕に守られ、神の子とされたことを深く味わわせてくれていると感じています。

今日読んだ聖書には、「あなたがたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを思い起こしなさい」と言われています。わたしも、その一人にしていただいているということに、恐れつつも感謝をしています。この説教壇には、何人もの人たちが立たされてきました。説教壇に立たされる人は、ただ神の言葉を語るということに召された人たちです。

彼らの信仰を見倣いなさい。罪人が神の言葉を語るっていうのですから、説教壇には信仰がなくては立てないし、信仰がなければ、神の言葉として聞かれることはないと思います。

わたしたちの信仰を支えるのは、イエス・キリストが、きのうも、今日も、永遠に変わることがないということです。唯一完全な犠牲としてご自身を十字架で献げてくださった

お方は、変わらない。どんなに時代が変わっても、人が変わっても、変わらないお方です。イエスさまは、聖なる者とするために、血を流し、苦難を受けてくださいました。私たちが、聖なる者、神の子とされなければならなかったのは、神が願われたとしか言いようがありません。そして、あなたが神にとって、どれほど尊く、かけがえのない存在であるかを、イエスさまはいつも示してくださいます。

私たちに与えられている命は、神が与えてくださった命、イエスさまによって、贖われた命です。あなたがあなたであることを喜んで、神さまを賛美すること。慈しみの業と交わり(人と分け合うこと)をおろそかにしてはならない。イエスさまは、神を愛することと隣人を自分のように愛することを、最も重要な掟として示されました(マタイ22:37-40)。今日、わたしたちがこの口をもって神を賛美していること、わたしたちが誰かと何かを分け合うことを神さまは、喜んでくださいます。確かに、この世は、闇の力が強く、課題が山積ですが、大胆に勇気をもって、外へと向かって行くことができます。わたしたちの赴くところに、主が伴ってくださいます。《祈り》 天の父なる神さま。イエス・キリストがずっと変わらず、わたしたちに関わっていてくださることをありがとうございます。イエスさまを仰ぎ見つつ、この口をもってあなたをほめ讃えさせてください。イエスさまが共にいてくださるので、ここから遣わされていきます。恐れに支配されることなく、勇気をもって過ごすことができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。(2025年10月12日 橋本いずみ)