《 無くした銀貨を探す女 》
ルカによる福音書 15:8~10
あるいはドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、「無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください」と言うであろう。言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」 (ルカ15:8-10)
女の人がいました。10枚のドラクメ銀貨を持っていました。ドラクメ銀貨1枚は、1日働いたらもらえます。ネックレスにしてプレゼントしてもらったのかもしれないですし、コツコツ貯めたものかもしれません。女の人は、10枚のドラクメ銀貨の一枚がなくなったら、見つけ出すまで探し回ります。
灯を灯して、家のそうじをして、見つけ出すまで探します。そして、見つかったら、一緒に喜んで欲しくて、友達や近所の人を招いて、パーティーをします。
この前には、一匹の羊を探す羊飼いの話があって、どちらも、見つけ出すまで探し続ける人がいて、見つかったら友達や近所の人を誘って一緒に喜ぶだろうって言われています。一人の罪人が悔い改めることを、神さまは喜んでおられて、一緒に喜んでほしいって思っておられるということです。
イエスさまが、徴税人や罪人たちと一緒に食事をしているということで、ファリサイ派の人々や律法学者は、不平を言い出しました。彼らは、イエスさまが徴税人や罪人―この世の支配や悪に加担していた人々―と一緒にいるのを喜べず、むしろ不平を言いました。
イエスさまは、神の御手のうちから、失われたものを探して救うために来られました。神の恵みの御手のうちから失われていたものを、徹底的に探されます。見つけるまで探されます。
サウロに復活のイエスさまが出会ってくださった後、アナニアに主は、「サウロを探せ」と言われます。(使徒言行録9:11)。復活のイエスさまが、サウロを探して見つけて声をかけ、サウロは祈っていた。サウロは、神さまに従っているに違いないと思っていました。けれども、それは、神が遣わしてくださる救い主を迫害することでした。復活の主は、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」と言ってサウロに現れました。サウロは、アナニアが探してくれたことによって、悔い改めて、キリストを通して、神の栄光を仰ぐようになりました。
神が与えてくださったキリストをこの世から追い出そうとする者。救い主を必要としない心、そこから導き出される考えや行い。イエスさまは、この世、富、悪の支配に加担してしまっている罪人と一緒に食事をしてくださいました。イエスさまと親しい交わりに入れられた。彼らは、ただの罪人じゃなくて、悔い改めている罪人になった。そして、その一人の罪人のことで、神の使いたちは喜んでいるとイエスさまは語られました。
《祈り》
天の父なる神さま。あなたは、無くした一枚の銀貨を見つけ出すまで探すように、わたしたちを見つけて、あなたの御手の内にわたしたちを取り戻してくださいました。あなたが今日、わたしたちをしっかりと御手の内に捕らえていてくださることを、知ることができて感謝します。そして、あなたが、今日、わたしたちを喜んでいてくださることを私たちも嬉しく思っています。どうか主の喜びを共に喜ぶ教会とならせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2025年11月16日 橋本いずみ)

