《 神を信じなさい 》
ヨハネによる福音書 14:1~7
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(ヨハネ14:1-4)
今日は、神を信じて、イエス・キリストを信じて、天に召された方々を覚えて、主日礼拝をささげています。
私たちの人生には、別れがあります。それは、大きな痛みを伴うものもあります。イエスさまも、弟子たちも今日の箇所では、別れの痛みを感じていたのかもしれません。
イエスさまは、この世から父のもとへと移る御自分の時がきたことを知って、弟子たちを愛し抜かれました(13:1)。イエスさまと弟子たちとの別れは、弟子たちに愛想を尽かして離れて行かれたというのではなくて、この上なく愛するがゆえのことです。弟子たちを愛する主は、弟子たちの足を洗い、互いに愛し合うことを命じます。しかし、イエスさまの言葉と行いは、弟子たちの心を動揺させるものでした。
弟子たちの動揺を知って、父の家にあなたがたのための場所を用意したら、戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎えるとおっしゃいました。
イエスさまは、弟子たちと別れて、十字架に上げられ、死から復活させられ、天に上げられて、父もとに、弟子たちのための場所を用意されます。イエスさまは、わたしのいるところに弟子たちを迎えるために、弟子たちと離れて行かれる。イエスさまは、この世においても、父なる神さまといつもともにおられ、御心を語り、行っておられました。イエスさまは、この世において、神との親しい関係に生きていたのです。そして、私たちを父なる神さまとの親しい関係に、迎え
るために、イエスさまは十字架への道を歩んでくださいました。イエスさまは、弟子たちに向かって、「あなたがたは、その道を知っている」と言いますが、トマスは、「分からない」と答えています。イエスさまが進む道は、一人では分からないのだと思います。イエスさまは、弟子たちの群れに向かって「あなたがたは、知っている」とおっしゃいました。「分からない」としか言えないトマスのように、個人の信仰では、あやふやなところがある。しかし、イエスさまは、弟子を一人で立たせたのではなくて、弟子たちにイエスさまの道を示され、あなたがたは「知っている」とおっしゃいました。そして、「分からない」というトマスの言葉に応えるようにして、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われ、十字架に向かい、父に至る道を開いてくださいました。
天国に至る道は、その道も天国です。なぜなら、イエスさまが「わたしは道である」とおっしゃられたからです。父との親しい関係のうちに、父なる神に通じる道を歩いた者たちを覚えて、私たちもその後に続きます。
《祈り》 命の道を切り開いてくださった主イエス・キリストの父なる神さま。命の源であるあなたに結ばれて生きるようにと、十字架の主がわたしたちを、今日招いてくださったことに感謝します。同じ主の道を歩む信仰の友を与えてくださったことを感謝します。どうか、主によって開かれた道を歩む中で、父なる神さまとの親しい関係を築いていくことができますように。主が主の御名によって祈ります。アーメン。
(2025年11月2日召天者記念礼拝 橋本いずみ)

