《 わたしは、あなたがたを遣わす 》
ルカによる福音書 10:1~12
その後、主はほかに七十二人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履き物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず『この家に平和があるように』と言いなさい。(ルカ10:1-6)
今日読んだ聖書の箇所で、イエスさまが弟子たちを遣わすにあたって語られた中に、「あなたがたの願う平和」と言われていました。イエスさまによって遣わされる弟子たちが願う平和があるということだと思います。私たちが願っている平和というのは、どのようなものなのでしょうか。戦争がないことでしょうか。穏やかな心でしょうか。平穏無事な生活でしょうか。どれも、平和という言葉のうちに含まれているものですが、これらを支えているものがあります。それは、イエスさまが真ん中におられるということです。復活のイエスさまは、「あなたがたに平和があるように」(ルカ24:36)と弟子たちの真ん中に立ち言われました。遣わされる弟子たちにとっての平和は、罪と死の支配に勝利されたイエスさまが真ん中におられるということです。
弟子たちが、遣わされて行ったところは、イエスさまが後から来られるところです。イエスさまは、エルサレムー十字架と復活による救いの御業がなされるところ―に向かって歩んでいる。その中で、72人の弟子たちを遣わされました。12人の使徒を遣わし(6:12-16、9:1-6)ましたが、ここでは72人を遣わします。ありとあらゆる民族と地域に遣わされた(創世記10章)考えられます。そして、そのすべては、イエスさまが行くつもりのところです。
わたしたちが遣わされて行くところも、例外なく、イエスさまが後から来てくださるところであると言えると思います。
イエスさまは、弟子たちを遣わすにあたって、収穫のための働き手を送ってくださるように主に祈り求めることを最初に命じています。狼の群れに子羊を送り込むようなものだということ、手ぶらで行って、挨拶はしないこと、どこかの家に入ったら「この家に平和があるように」と言い続けること、転々とすることなく留まって出されたものを飲み食いし、病人を癒し「神の国は近づいた」と言うこと、もし迎え入れられなければ広場で「神の国が近づいたことを知れ」と告げることです。イエスさまは、弟子たちに使命を与えました。しかし、弟子たちが遣わされたところに、平和の子がいるかどうか、受け入れられるかどうかは、分からない。絶対に受け入れられるところだけに、遣わしたのではありませんでした。あるところでは、イエスさまが真ん中にいてくださるということが受け入れられて、平和がその家にとどまる。しかしもし受け入れられなかったとしても、イエスさまが真ん中にいてくださるということは、あなたたちから奪い去られることはないと主は約束してくださっているのです。
《祈り》
天の父なる神さま。終わりの時のために、主の救いの実現のために働くものを送ってください。イエスさまが真ん中にいてくださる時にわたしたちの心は平安になります。あらゆる人、国の真ん中に主がお立ちください。わたしたちが遣わされて行くところに、イエスさまが訪れてくださることを信じます。神さまが生きて働いておられることを、それぞれのところで知り、主を褒め称えるものとならせてください。イエスさまの御名によってお祈りします。(2025年8月17日 橋本いずみ)