2025年8月31日 主日礼拝説教

《 だれが隣人になったか 》

ルカによる福音書 10:25〜37

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。…「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカ10:25-29、36-37)

律法の専門家とイエスさまとの対話。イエスさまを試そうとしている律法(神の言葉)の専門家。専門家ですから、神さまがどのように語っておられるか、よく知っている人でした。当時の人たちにとって、永遠の命を受け継ぐということは、人生の目的になりうるものでした。彼は、そのために、律法の専門家になったのかもしれません。

「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるのか?」という問いにイエスさまは、答えずに、彼自身に答えさせます。「神を愛するということと隣人を愛するということ」というのは、模範解答のようなものだったのかもしれません。そして、イエスさまもその答えに同意して「そうしたら、あなたは生きる」と言っておられます。この律法の専門家は、じゃあやってみますとはならずに、自分を正当化する(自分自身を義としたいと望んで)、「では、わたしの隣人とは誰ですか」と尋ね、そこで、イエスさまがたとえ話をされます。よいサマリア人の話です。エリコからエルサレムに向かう道で、強盗にあって半殺しになってしまう。そこに祭司がやって来たが、反対側を通って行ってしまった。レビ人も同じようにした。しかし、サマリア人は、憐れに思って、彼を助けたという話です。

おそらく律法の専門家は、祭司やレビ人たちに共感したと思います。彼らが、この道を通って行くのは、エルサレムの神殿での奉仕のために違いない。そう考えると、祭司やレビ人がすごくひどい人たちというよりかは、彼らは、神への奉仕に忠実であろうとしたのだろうと考えられます。サマリア人は、元を辿ればおなじ神の民の一員だったはずなのですが、当時は、ユダヤ人と対立して、絶縁状態です。しかし、強盗に襲われた人を助けたのは、サマリア人でした。

イエスさまは、こう話して、「だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」と律法の専門家に尋ね、「その人を助けた人です」と答える。彼は、自分で答えを見つけている。イエスさまは、結局、対話をするのだけれども、神の言葉からあなた自身で答えを見つけることができる。神さまは、あなたに神の言葉を聞き取る力を与えてくださっている。だから、聞き取ったことを、行うようにと、イエスさまは励ましてくださっています。

《祈り》

天の父なる神さま。今日も私たちの手元に聖書を与えてくださって、神さまの言葉をいつも私たちの身近なところに与えて、神さまが語りかけてくださっていることに感謝します。イエスさまの問いかけが、私たちを自己正当化から自由にしてくださいます。イエスさまの励ましを受けて、神さまの言葉を生きることができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。