《 永遠の命に至る水 》
ヨハネによる福音書 4:7〜26
イエスは答えて言われた「もしあなたが、神の賜物を知っており、また「水を飲ませてください」と言ったのが誰であるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸はわたしたちに与え、彼自身もその子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲むものは、だれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲むものは、決して渇かない。わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は、言った。「渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
(ヨハネによる福音書 4:10〜15)
誰の申し出か
神の御子イエス・キリストは、サマリアで一人の女性に出会いました。イエスさまがサマリアを通らなければならなかったのは、ここでも、父なる神が礼拝されなければならなかったからです。父なる神は、礼拝するものを求めておられます。一人の女性が新しく生き始めるためであり、サマリアでも主イエスの言葉を聞いて信じるようになるためでした。
サマリアの女は、自分が対話している相手が誰であるかを知りませんでした。それは、交際しない(物を共有しない)疲れ切った旅人です。この人が、自分の心の渇きを癒し、他者と新しい人間関係を築かせることになるとは、考えていません。神の御子は、サマリアの女の前に、疲れた旅人として姿を現しました。
真実を語る
ニコデモの時と同様に、サマリアの女も主イエスがおっしゃられていることを捉えることができません。
この地上での労苦から解放され楽に生きたいと願う女性と永遠の命を与えようとする主イエスの噛み合わない対話が続き(7-15節)、主イエスはこの女性の真実の姿を明らかにし(16-19節)、ご自分が来るべきメシアであることを告げます(25-26節)。この対話の中で、疲れた旅人が、井戸を与えた父ヤコブよりも偉い方であり、預言者であり、父なる神を啓示する世の救い主であると知るのです。
この女性にとって、今連れ添っているのは夫ではなく、過去に五人の夫があったということは、真実でした。この女性も一人の夫の一人の妻として生涯をまっとうしたいと思ったでしょうけれども、彼女は、このようにしか生きられませんでした。町から離れた父ヤコブの井戸に水を求め、なんとかして渇きを潤そうとしてきました。人の目を避けて生きてきましたが、主イエスとの対話によって、自分の真実を語ります。主イエスは、自分でも受け止めきれない自分の真実の姿を知っておられます。
霊と真理をもって礼拝する
この女性は、主イエスとの出会いを通して、霊と真理をもって父なる神を礼拝することを知りました。神は、今も礼拝するものを求めておられます。主イエスとの関係が、私たちに永遠の命に至る水です。
《祈り》
礼拝するものを求めておられる父なる神さま。主よ、わたしたちの真実をご覧ください。わたしたちには、自分でも受け止めきれない自らの姿があります。主が私たち自身よりも私たちを知り、深く憐れんでくださることを感謝します。あなたにふさわしく新たにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。 (2020年10月25日 橋本いずみ)