2020年7月12日主日礼拝説教

《 洗礼を授ける 》

ヨハネによる福音書   1:19~34

その翌日、ヨハネは自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証した。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上に留まるのを見た。わたしはこの方を知らなかった

しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証したのである。」

(ヨハネによる福音書 1:24〜34)

洗礼

教会のはじめ、弟子たちの言葉を信じ、多くの者たちが、洗礼を授けられ、仲間に加わりました。(使徒言行録2:42)

わたしたちも、父、子、聖霊(三位一体)の名によって、洗礼を授けられて、クリスチャンになりました。神の子として、キリストに従う弟子として、御国を目指して歩み始めます。

 

水で洗礼を授ける

洗礼者ヨハネは、人々に悔い改めを促し、水で洗礼を授けていました。他の福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は、ヨハネが主イエス・キリストに洗礼を授けていたということを記しています。しかし、ヨハネによる福音書には、主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたということは、明確には記されておらず、洗礼者ヨハネは主イエスの上に“霊”が降ったのを見たということを告げ、そして、その方こそが聖霊によって洗礼を授ける人であると告げています。

洗礼者ヨハネは、聖霊を授けられるお方は、栄えていくが、自分は衰えて行き、水で洗礼を授けることはできるが、聖霊を与えることができるわけではないということをわきまえています。

聖霊によって洗礼を授ける

主イエスは、洗礼を授け、弟子たちに洗礼を授ける権威をお与えになりました。(ヨハネ3.22、4.2)復活の主イエスは、父と子と聖霊の名によって、洗礼をさずけるように弟子たちにお命じになり(マタイ28.19)、主が約束された聖霊が与えられて、弟子たちは洗礼を授け、多くの仲間たちが加わっていきました。(使徒言行録2.42、8.12、10.44-48、16.33、19.5)

 

洗礼と聖霊

洗礼は、自動的に効力を発揮する清めの手段ではありませんし、魔術的な力があるわけではありません。(1コリント10.1-13)。しかし、洗礼を授けられた者たち神は、聖霊を与えてくださって、神との関係に生かしてくださいます(1ペトロ3.21-4.6)。神の御子イエス・キリストは、聖霊を与え、信じる者たちを、神の子としてくださいます。

 

《祈り》 

父・子・聖霊なる神さま。あなたが、わたしたちを救い、私たちをあなたご自身の交わりの中に招いてくださることを感謝いたします。すでに洗礼を授けられた者たちが、キリストを指し示し、相互の交わり、パンを割くこと、祈ることに、熱心に生きることができますように。主よ、聖霊を与えてください。すべての人を悔い改めへと導き、洗礼を受けることを心から願う者としてください。主の御名によってお祈りします。アーメン。

(2020年7月12日 橋本いずみ)