2021年1月10日 主日礼拝説教

《 あなたの子は生きている 》

ヨハネによる福音書   4:43〜54

さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子を癒してくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。役人は「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは「昨日の午後一時に熱が下がりました」と言った。それはイエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして彼もその家族もこぞって信じた。(ヨハネ4:45-54)

主イエスがガリラヤでなされた二回目のしるしは、命に関わることでした。王の役人の息子が、熱で死にそうになっていて、主イエス・キリストは、「行きなさい。あなたの息子は生きる」と一言語り、父親を帰らせました。このことを通して、王の役人であった父親も、家族も主イエスを神の御子、キリストを信じるようになり、永遠の命を受けるものとなりました。

この二回目のしるしは、神こそが、命を司っておられる方であることが示されています。「あなたの息子は生きる」主イエスの言葉によって、本当に、死にかかっていた息子が生きるようになった。

ラザロの復活(11章)の時とは違い、この息子はまだ死んでいません。死にかかっているけれども、かろうじて生きていました。主イエスの言葉によって、死にかかっている命を生きるのではなく、生き生きとした命を生きるようになります。

この家族は、息子の命のことで、主イエス・キリストを通して働かれる、命の創造主である神を知りました。

いつどう働くのか知ることができない得体のし得ない神、ではなく、イエス・キリストを通して働かれる神として、神が確かにおられることを知りました。そして、息子のことで、神に知られている家族となったのです。

主イエスは、父親の願いを聞いて「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われ、父親はその言葉を信じて帰って行きました。「帰りなさい(行きなさい)」と言われて、帰った(行った)。

主イエスは、十字架にかかられる前に「父のもとに行く」と言われています。この父親は、主が「あなたの息子は生きている」と語ってくださる主イエスとの出会いを通して、父なる神に向かって歩み始めたのでした。

わたしたちの死にかかっているような命、限りあるこの世での命を通して、まことの命の源である神を知ることができます。

私たちがキリストを通して神を知る時、神がわたしたちを知っていてくださいます。わたしたちが、キリストを通して神を信じる時、神がわたしたちに命を与え、わたしたちのうちにとどまってくださいます。

《祈り》

命の創造主にして、救い主なる神さま。私たちのこの世での命は限りあるものですし、死に瀕することもあります。しかし、この世の命のことを通して、主イエス・キリストに出会っていただき、滅ぶべきものに命を与え神の子とするあなたの偉大な御業を知ります。主よ、わたしたち、あなたが生かしてくださる命を見出すために、あなたに向かって歩み始めます。祝福をもってお守りください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年1月10日 橋本いずみ)