2021年1月3日 主日礼拝説教

《 二回目のしるし 》

ヨハネによる福音書   4:43〜54

イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられたところである。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子を癒してくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。… それはイエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして彼もその家族もこぞって信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた二回目のしるしである。(ヨハネ4:45-54)

再び、ガリラヤのカナに来られました。そこは、主イエスが水をぶどう酒に変えるというしるしを行い、神の栄光を現されたところです(ヨハネ2:1-11)。過越の祭りのためにエルサレムに行き、サマリアを通って再びガリラヤのカナに来られました。最初のしるしに加えて、エルサレムでの過越祭でのしるしを見て、多くの人が主イエスを信じるようになりました(2.23)。

あらゆる困窮の中に奇跡的な助けを与える方として知られるようになり、王の役人は、カファルナウムから来て、息子を癒してくれるようにと頼みました。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、主イエスはこの願いに隠された盲目さと罪深さを見ておられます。それにもかかわらず、王の役人であった父親の願いを聞き入れ、しるしをなされました。

主イエスのしるしは、信仰を呼び起こすために役立ちました。主イエスへと向けられ、主イエスに従い、主イエスに委ねるようになるために、奇跡が主への信頼をおこすようにと、主はこの願いを聞き入れられました。

父親は、信じていますが、それは神の御子イエス・キリストを信じ、御子を遣わした神を信じる信仰ではありません。父親の願いは、息子が助かりさえすればよいという地上の領域にとどまっており、永遠の事柄に目を向けていません。

父親は、自分と一緒にカファルナウムに行くことを願いましたが、主イエスはその言葉だけで去らせました。

ただ父なる神のみが、主イエスの言葉を成就する力を与えることができます。父親は、主イエスのことばを、約束を受け取り、慰めとして心に抱き、帰路につきました。主イエスは、離れたところから言葉を発するだけでしたが、この言葉によって、息子は癒され、家族一同、神を信じるようになりました。

ここで与えられた新しい信仰は、主イエスの奇跡的な力だけを見るのではなく、神が与える最大、最善、完全なもの(主イエス・キリストご自身)を見るようにします。たとえわたしたちの道が、死に向かおうと、そうでなかろうと、わたしたちの全生活を包み込み、父なる神へと至らせるために、神の恵みが共にあるということを信じる信仰です。

主イエスは、この地上を歩んでおられる間ずっと父を見上げておられました。そして、人間の求めから、栄光を示し、父との交わりへと導かれます。

《祈り》

アルファでありオメガである神よ、主の年2021年の最初の主の日を迎えました。わたしたちは、困窮の中であなたを求めるようになりましたが、そこにとどまることなく、あなたとの交わりを喜び、この世にあって生きることを通して、永遠の命を授けるあなたご自身のことを深く知るものとならせてください。主の御名によって祈ります。アーメン 

(2021年1月3日新年礼拝 橋本いずみ)