2021年1月31日主日礼拝説教

《 神が働いておられるから、わたしも働く 》

ヨハネによる福音書   5:1〜18

その後、イエスは神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう罪を犯してはならない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない」この人は、立ち去って、自分を癒したのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。「わたしの父は今なお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと狙うようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自分を神と等しいものとされたからである。                      (ヨハネ5:14-18)

安息日における病人の癒しを巡って、ユダヤ人たちは、主イエス・キリストを迫害するようになりました。その理由は二つ挙げられており、一つは、安息日を破っているということ。もう一つは、神を父と呼んで、御自分を神と等しいものとされたからです。

安息日を破る

主なる神さまは、「安息日を守ってこれを聖別せよ」(申命記5:12-16)と命じておられます。安息日には、主なる神が自分たちを導いてくださったことを思い起こす日だったのです。神さまの救いの御業を思い起こす日でした。そして、荷を持ち運ぶことも、仕事をすることも禁じられました(エレミヤ17:21-27)。

 イエスさまは、安息日に解いておられた。かつて、イスラエルの民をエジプトの縛りの中から自由にしたように、イエスさまは、安息日に縛りを解いておられたのです。

父と等しいものである主イエス・キリスト

主イエス・キリストは、神さまのことを、「父」と呼んでおられます。そして、主イエス・キリストは、御自分の

ことを「子」であると言います。ヨハネによる福音書は。「父」「子」という言葉を用いて、父なる神さまと、子なるキリストは、同じものであり、ともに働いていることを表しています。

主イエスキリストが言葉を語られる時、主イエス・キリストの言葉を通して神が働かれます。あの安息日に癒された病人の癒しには、主イエス・キリストの父である神、天地を創造し、闇の中に光を創造される神が働いておられることを明らかにされたのです。

父なる神は、庇護、扶養、援助をなさいます。神さまは、神の民とされたわたしたちの父でもあられます(エレミヤ31.9)が、第一に、神さまは、イエス・キリストの父であられます。

イエスさまは、父なる神さまとともにあって、十字架においてキリストとなられ、わたしたちの主となられました。御子イエス・キリストによって、わたしたちも父なる神さまとの関係に招かれました。

主イエス・キリストは、安息日の癒しを通して、「父」と「子」の関係にある神の姿を、救いを待ち望んでいた人々にお示しになられました。

《祈り》

主イエス・キリストの父なる神さま。わたしたちも、キリストによってあなたに「父よ」呼びかけます。あなたが、キリストの言葉によって、自由にしてくださいました。あなたがわたしたちをかばって守り、一人で生きることのできないわたしたちを養い、力を与えて助けてくださいます。キリストの言葉とともに、働かれるあなたの力を仰ぎ見させてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年1月31日 橋本いずみ)