2021年11月7日 主日礼拝説教

《 羊飼いの声 》

詩編 23:1〜6

賛歌。ダビデの詩。主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。(詩編23:1-6)

ヨハネによる福音書 10:1〜5

はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入るものが羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。(ヨハネ10:1-5)

西宮一麦教会では、「主は良い羊飼い」を年主題にして教会の歩みを進めています。

聖書に最もよく登場する動物は、羊です。詩編23編には、自分を羊、主なる神を羊飼いにたとえてうたう賛美の歌が記されています。この詩には、羊飼いへの深い信頼が滲み出ています。

もう一つ読んだ聖書の箇所、ヨハネによる福音書にも、羊飼いと羊が登場します。ここで、羊飼いは、門を通って羊の囲いに入ってくるものだと言われています。羊は、夜の間は、囲いの中で過ごし、朝になったら、羊飼いの呼ぶ声に導かれて、外に連れ出されていたようです。羊飼いは、羊に名前をつけていて、一匹一匹、名前を呼んで外に連れ出して行く。羊飼いは羊の名前を呼び、羊はその羊飼いの声に聞き従って行く。毎朝、羊飼いと羊の間では、このようになされる中で、深まっていく信頼関係があったようです。詩編23編のように、わたしたちが羊であり、主なる神さまが羊飼いであるならば、主は、わたしたちを朝ごとにわたしたちの名前を呼んでくださっているということです。そして、主が先立ちゆくその後に、私たちは導かれて進んで行くのです。

羊が夜の間に過ごす囲いの中は、安全なところのようにも思いますが、門を通らずに、盗人や強盗が来る可能性があります。わたしたちが、この世にあって教会の交わりの中にいるということは、夜の間、羊の囲いの中にいるようなものだと思います。

そして、洗礼を受けた者たちは、主が名前を呼んでくださっていることを知って、その声に聞き従い始めた人たちです。洗礼を受けた人たちは、この世にあっても朝ごとに、私たちを導き出してくださる声に従って、羊飼いである主の後に従って行きます。主は、わたしたちを休ませて、憩いを与え、魂を生き返らせてくださいます。

私たちより先に天へと召された教会員の方々は、主の声に導かれて歩み続けました。そして、今は、安心して眠りについていますが、主が再び来てくださるその時には、この地上を歩む時、朝ごとに呼びかけ、憩いの水のほとりに導きつづけてくださったその主の声によって、目を覚まさせてくださいます。

《祈り》

天の父なる神さま。あなたが羊飼いとして、朝ごとに、わたしたちの名を呼び、あなたの声によって導いてくださいます。イエスさまが、私たちの先頭に立って進んでくださることを信じ感謝します。主よ、この世にあって、あなたが私たちを安らぎと魂の回復の場へと導いてください。また、この世での命が尽きるとき、終わりの日に他の眠りについた人たちとともに目覚めさせられることを覚えて、安心して眠りにつくことができますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年11月7日 召天者記念礼拝 橋本いずみ)