2021年12月5日 主日礼拝

《 従いて待つ人 マリア 》

ルカによる福音書 1:26〜38

六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むがその子をイエスと名づけなさい。その子は偉大な人になり、いと高い方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にできないことは、何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 (ルカ1:26-38)

わたしたちは、待っています。突然やって来るであろう「その日、その時」を待っています。その日、その時は、主が始められる日です。

マリアにも、その日、その時が、やってきました。それは、マリアにとっては、突然の出来事でした。あまりにも突然の出来事で、マリアは戸惑い、恐れています。しかし、マリアは、「神にできないことは、何一つない」と告げる天使ガブリエルの言葉によって、すべての命を創り出した主なる神さまには、できないことなど一つもないと信頼して「主のはしためです」とマリアは、言いました。

マリアは、天使ガブリエルの告げる言葉によって、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と従うようになっていきました。主のはしためである、主の僕であるということは、主が命じることがあれば、すぐに従っていくという準備をしていること。もしかしたら、命じられることはないかもしれない。しかし、命じられれば、いつでもそのとおりに動く準備ができていることです。

マリアは、貧しい者というのが、自己認識だったのです。しかし、神にできないことは何一つないということを知った時に、彼女の自己認識は、「主のはしため」に変わり、神に従う者として歩み始めました。「身分の低い、この主のはしためにも、目をとめてくださったからです。」と救い主である神さまを喜びたたえています(1:47-48)。マリアは、周りの人から特別扱いされることなどない人でした。それゆえに、自分でも自分が特別な存在であると思ったことがなかったでしょう。しかし、神さまは、救いのために、マリアを特別な人とされました。

マリアが、日に日に大きくなっていくお腹を感じていたように、わたしたちが、イエスさまの誕生によって世界の救いが実現することを知らされている人たちは、救いの出来事が日に日に大きくなっていくことを知ることになるでしょう。マリアは、もう確かに一人ではありませんでした。イエスさまと一心同体となって、マリアは生活したのです。

マリアは、この後も、多くの人たちからは、特別な人として扱われることはなかったと思います。しかし、同じように、神さまの救いの計画を知った人には、幸いをもたらし、喜びを与える存在になっていきました(1:39−45)。

《祈り》

世界を創り出された主よ、あなたにできないことなど一つもありません。私たちは、あなたを喜びたたえます。あなたが、わたしたちに目を止めてくださったからです。あなたの語られることを開かれた心と態度で聞き、従う者とならせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年12月5日 アドヴェント第二主日  橋本いずみ)